司馬 フランシスコ・ザビエルが感動的に書いていますが、ヨーロッパでは富に栄えるもののみが正しくて、貧しいものはそのことを恥じるけれども、この国の民は貧しさを誇りにしている、これはクリスチャンになるにふさわしい民族だということを報告しています。
そもそも日本人は、ここ最近のようにこんなに富を得ようとはだれも思っていなかった。どちらかというと、われわれは千数百年来、食っていければいいという理想だけをもっていましたし、江戸時代の侍も明らかにそうでした。これは万人がそうでしたね。時々、奇妙な人が成金になるだけで、その人をばかにしていました。そういう意識があるかぎり、日本人は大丈夫だと思いますね。私はそれはじつによくわかるんです。その点わりあい感じはいい国だとは思うんです。
ところが、くずれつつありますな。このあいだ、検事が汚職して何万かもらった事件があったのには、もう暗然とした。カトリックの神父さんが独身であるように、検事は清貧でなければならない、と自他ともに思っている。検事であることの清貧を楽しむか誇りに思うために、一生懸命勉強して検事になるんでしょう。貧乏であることでみな尊ぶわけでしょう。それが汚職してもらったら困る(笑)。
堀田 今朝の新聞を見たら裁判官までそうだという。これは度しがたい。日本の将来も度しがたいね、これは(笑)。
貧乏であることを誇りとしているというこの伝統は、いまヨーロッパのほうが目立ちます。
たとえば中産階級以下は、それぞれ庶民であることを楽しんでいる。上にいこうとは思わない。昔のパリでは、ルイ・ヴィトンのものを持つならば、自動車はロールス・ロイス。そういうふうになっていたわけでしょう。だから中産階級以下は、そういう高級品を持とうとはまったく思っていないわけです。
司馬 「武士は食えねど高楊枝」といって、侍は貧乏、町人は金持ち。だけど侍は尊ばれている。それはヨーロッパでも質素というのは貴族の徳目の一つです。だからわれわれ日本人はいままでいいモラルをもってきたんだけれども、いまからは再びちょっと開発せんとだめですな(笑)。新しい事態がこうやって起こっては。
堀田 スペインのドン・ファン・カルロスという大さまが銀座の服部時計店へ行ったとき、真珠がずらっと並べてある、それを見て「われわれのような階級にはいらんもんだ」って言ってた(笑)。
宮崎 成金になるとしばらくの間、熱が冷めるまではしょうがないでしょうね。なんでも買いあさった挙げ句、もうどうでもいいやと思うようになるまでは。イギリス人だってここへくるまでものすごく傲岸な時代があったでしょう。
司馬 そうそう。夏目漱石はロンドンの街を歩くと、イギリス人は全員高慢な顔をしているという。なるほど、いま行っても高慢な顔をしてますな(笑)。アイルランドに行くとみな和やかなんだ(笑)。
宮崎 和やかで居心地いいところでした。
・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、6 日本人のありよう、ザビエルがほめた徳目、p165,166
・関連場所、商品
お金があればアイルランドに行ってみたくなりますね。
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