仏道修行には必ずお師匠さんという存在がいなければなりません。でも、なぜお師匠さんが必要なのか、あらためて考えたことはありますか? 師匠でなくて親でもいいです。なぜ親が必要なのか。なぜ人生の先輩が必要なのでしょうか。
それは、どんなことでも、頭では簡単に理解できることでも、実戦となると、なかなかできなことがあるからです。人生において大切な心がまえなどというものは、長い期間、ともに生活をして薫陶を受けなければ、それを会得することはできないからであります。
私が修行をはじめたのは十九歳のときですが、
「人生っていったい何だろう」
と疑問を感じたら、本を読めば、そこに答えになりそうな言葉は書いてありました。しかし、実践が伴いません。答えを自分のものにするには、それ相応の実践が必要です。そして、自分の姿は自分では見えません。自分ではまっすずのつもりでも、お師匠さんという人生の先輩から見れば、あちこち曲がって折れたりしています。だから、おかしいところはおかしい、曲がったことは曲がっている、と指摘して、言いにくいことを言ってくれる師匠や親が必要なのです。
・出典
忘れて捨てて許す生き方/塩沼亮潤、人生って何だろう、素直の効用、p16,p17
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