宮崎 闇というものを身近に、だいじなものだと思わないようになってしまった。つまり、古い家を全部壊してしまう。それと同じです。
堀田 蓼科に別荘をつくってから、三年間電気がこなかった。そんな生活は大変でしたけど、たいへん気持よかった。ランプでしたけどね。夜寝るときなんか、いくら酒飲んでも、なんだかざわざわしている。
しかし、そのうち二ヶ月ぐらいから、そのざわざわがないと眠れなくなってしまった。守られているという感じでしてね。
宮崎 闇と折り合いをつけていくのですね。
司馬 闇を悪徳だと昔の日本人はおもわなかったんですが、(中略)
堀田 キリストは、「我は光なり」とやってきたわけでしょう。(中略)
ヨーロッパの森の中の真っ暗なところに住んでいる連中のところへ、お坊さんが、「我は光なり」と来たら、みんなドキッとしますよ。
宮崎 森と闇が強い時代には、光は光明そのものだったのでしょうね。でも、人間のほうが強くなって光ばかりになると、闇もたいせつなんだと気がつくわけです。私は闇のほうにちょっと味方をしたくなっているのですが(笑)。
・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、4 アニメーションの世界、闇のすばらしさを宮崎作品で、p30,31
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闇であることは世間一般的にいうと毛嫌いされることもあるが、闇がなれければ光の明るさを大事には思えないですね。光があることが当然になっているので。衣食住に関しても同じことが言えそうです。
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