2015年1月20日火曜日

心を養う食事 心/高田好胤

 同じ食事をいただくにしても、喜びと感謝の心でいただいたときには、それが血となり肉となり、またわれわれの心も養ってくれます。同じ水を飲んでも、蛇はそれを毒にし、牛はそれを乳に変えます。食べるものに変わりがなくても、それを受けとる心によって、値打ちが変わってくるのであります。
 たとえば、暇のことについて考えてみましょう。暇を生かしたところに文化が生まれます。暇のないところに文化は生まれない。その同じ暇でも悪用すれば堕落とか俗化という現象もまた生まれてくるのです。暇そのものが堕落をもたらすのではない。暇を有効に生かすことができず、暇をもてあました結果、堕落が始まり、俗化の現象があらわれるのです。身につく食事をするのも、身につかぬ食事をするのも、食事の質や量によるのではなく、食べる物の心のありかたによるのであります。
 食事をするとき、薬を飲むような気持ですれば、肉体的な苦しみから救われるのだということが、「正しく良薬を事として、形苦を済わんことを取る」であります。
 薬というものは、時間とか分量とかをきちんとしなくてはなりません。この薬はよく効くからといって飲みすぎれば、睡眠薬が永眠薬となりかねません。

・出典
心/高田好胤、第 Ⅲ 章 親の心と子の心 「しつけ」について、p210,211

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「同じ水を飲んでも、蛇はそれを毒にし、牛はそれを乳に変える」なんという、目から鱗が落ちるような話。それを暇という例を挙げて説明されていますが、正にその通りと言わざる終えません。食うのにはほとんど困らない日本社会。お金と時間は余っているはずなのになぜか豊かさが感じられない。なんででしょうね。

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