いまの世の中は「見上げる心」より「見下げる心」の方が何と多いことでしょうか。それが、どんなに今日の世を住みづらくしていることでしょう。
会社に行けば社長は社員を見下している。俺はお前を雇ってやっている、女房子供が路頭に迷わないでいられるのも俺のおかげではないか、と。ところが、その社員が逆に社長を見下している。お前がそんなに威張っていられるのも、俺たちが働いてやっているおかげじゃないか、もっとゼニよこせ、それがいやなら電車をとめてやろうか、汽車をとめてやろうか、ということになる。両者のあいだには感謝の心も喜びのこころもまるでありません。
家へ帰れば父親は母親を見下し、母親はまた父親を見下している。だから子供は父に見習って母を見下し、母親を見習って父を見下すということになります。そこに現在のいろいろな家庭問題の根源があると思います。
(中略)
自分の価値のみを強く主張し、他のものをまるで認めようとしないのであります。そういう姿勢からは世を平和にし、人を幸福にする道は生まれてきません。
(中略)
自分以外のものを認めないというのは自我です。これは宗教のもっとも基本的態度、もっとも基本的資格を自ら忘れ果てている悲しい人々であります。お互いが価値を認め合う豊かな菩薩の心にめざめたいものです。
・出典
心/高田好胤、第 Ⅰ 章 心に種をまく 見上げる心、p74~81会社に行けば社長は社員を見下している。俺はお前を雇ってやっている、女房子供が路頭に迷わないでいられるのも俺のおかげではないか、と。ところが、その社員が逆に社長を見下している。お前がそんなに威張っていられるのも、俺たちが働いてやっているおかげじゃないか、もっとゼニよこせ、それがいやなら電車をとめてやろうか、汽車をとめてやろうか、ということになる。両者のあいだには感謝の心も喜びのこころもまるでありません。
家へ帰れば父親は母親を見下し、母親はまた父親を見下している。だから子供は父に見習って母を見下し、母親を見習って父を見下すということになります。そこに現在のいろいろな家庭問題の根源があると思います。
(中略)
自分の価値のみを強く主張し、他のものをまるで認めようとしないのであります。そういう姿勢からは世を平和にし、人を幸福にする道は生まれてきません。
(中略)
自分以外のものを認めないというのは自我です。これは宗教のもっとも基本的態度、もっとも基本的資格を自ら忘れ果てている悲しい人々であります。お互いが価値を認め合う豊かな菩薩の心にめざめたいものです。
・出典
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こういう考えをした人の元で育った人はこういう考えを持って世の中を生きていく。そして、その育った人の背中をみてさらに子どもが・・・。と、続いていくと、ねずみ算方式にこういう考えが増えていくかというと、そうでない。
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