何か失敗すると、つい何か人のせいにする。自分の責任を人になすりつける。そんなのは日常茶飯事でして、私たちはまことにくだらないことに執われていきているわけです。
そういう生きかたはまずいというので、わざわざお寺へやってきて、頭を剃って、質素な生活をし、修行をして、正しい生きかたを探し求める人間もいるわけですが、その場合、年長者がいてはじめてお寺の生活が成り立つという思いを強くします。まわりが同世代や年下ばかりだと、手本となる人がいませんから、一念発起してお寺に修行に来ても、おそらく成長することができないでしょう。
むかしの日本には、長幼の序というものがあり、年長者を敬う気風が強かった。私たちのお寺でも、お師匠さんや先輩の言葉をきちんと重んじて、お叱りを受けながら自分の悪いところの改善に努めます。
・出典
忘れて捨てて許す生き方/塩沼亮潤、日々を生きる、距離、p170,171
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