2015年1月30日金曜日

毒殺の芸術 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

宮崎 二◯世紀の大きな特徴は、武器を各国が競うように持ったことにあるのではないでしょうか?
司馬 (中略)殺すということでは兵器を、しかも大量に殺戮できる兵器を、機関銃から始まって最後に核にまで至るものを二◯世紀になって作ったということです。兵器は全部、人を殺すための道具ながら、これが進歩の証でしたね。
堀田 ある個人を標的とした毒殺ということでは、ルネッサンス時代の人間は非常に詳しかった。それがイタリアのPistoiaでピストルが十六世紀半ばに発明されたとたんに、毒殺知識がどーっとなくなった。
司馬 イタリアでは毒殺までが芸術だったですな(笑)。
 ジョルジュ・シムノンのメグレ警視がアメリカの犯罪を罵ってますね。彼らはプロの犯罪者だといって。フランスの犯罪者は全部素人だから、われわれが芸の細かい調査ができるんだと書いている。二◯世紀早々から、アメリカのギャングは、殺したいたった一人の人間を、自動車で走り抜けつつ、街頭で機関銃でやる。あんなことをやられちゃ、人間の心理の機微に分け入るメグレ的な捜査法があがったりになります。(笑)

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、 1 二◯世紀とは、武器のありよう、p29,30

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機械化、自動化の弊害は人間らしさが失われるところにあるんじゃないでしょうか。

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