司馬 よく言うではないですが、子供は大人の父である、子供に全てがあると。子供が持っているイマジネーションというのはわれわれ大人にはかなわない、と古代人もおもっていたんですね。子供の動作を見て、これは神様が宿っていると。だから、子供と同じ階の踏み方をすると、神に近づいていけるという感じがあるでしょう。これは私のつけた理屈ですけれども、神主さんもよくやっています。こういうことが宮崎作品にならないかしらと思っているのです。
(中略)
宮崎 『となりのトトロ』で幼い女の子のした階段の踏みかたは、ただ小さいからそうしただけなんですが、日本、東アジアは子供を主人公にして、子供が活躍する物語が好きです。『西遊記』にも子供の神様が出てきて、力も技も大人と対等です。これはヨーロッパの人は絶対納得できない。大人と子供が戦って、子供が勝てるはずがないじゃないかということです。
・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、5 宗教の幹、一神論と凡神論の世界、p145
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子どもから力を貰うこともあるし、雑念のない率直な子どもの意見に「あぁそうだな」と思わされることもありますしね。子どもというものを大人は見くびりすぎているかもしれませんね。
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