「この金子、ありがたく頂戴つかまつりまする。ご恩は生々世々、相わすれませぬ」
「以蔵さん」
竜馬はいやな顔をした。
「わかてくれたのはありがたい。しかしたかが金ぐらいで、武士が頭をさげるなどは薄みっとむないことだし、礼をいわれているおれのほうも恩を売っているようでいい図ではない。だがいにこの場の茶番にして忘れてしまおう」
「そ、それではこの以蔵の気がすみませぬ」
(勝手にしろ)
幸い、番頭があがってきて、伏見へのぼる三十石船がそろそろ出る時分だから支度をしてくれ、といった。
竜馬はほってして、
「あんたはここにいなさい。おれは夜船にのって伏見へゆく」
竜馬は、逃げるように船着場へ出た。
(中略)
(どうも、愉快でないな)
さきほどの以蔵の一件であった。
以蔵が不快なのではなく、ああいう金の出しかたをした自分が愉快でなかった。
(いい気なものだ)
あれでは、まるで恵んでやったようなものではないか。こちらがああいう与えかたをすれば、以蔵でなくても、当然、犬が食物を恵まれたような態度をとるしかない。
(金とはむずかしいものだ)
正直なところ、うまれてこのかた金に不自由したことのない竜馬にとって、これは強烈な経験だった。あれだけの金で大の男が犬のように平つくばるとは、はじめ考えてもいなかった。
(旅は世の中を教えてくれる、と兄はいったがこれも修行の一つかな)
・出典
竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎、江戸へ、p60~62
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・相反記事
感謝の押売り 宮本武蔵 (三)/吉川英治
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