「山名、細川なんかの喧嘩だろう」
「そうそう、戦を、自我のためにばかりしていました、手のつけられない私闘時代。-その頃、荒木田様の遠い先は、荒木田氏経といって、やはり代々、この伊勢の神主さまを勤めてきたんですが、世の中の我利我利武者が、わたくしの喧嘩ばかりしているために、応仁の乱の頃からは、たれもこんな所をかえりみる者がなく、古式も御神事もすっかり廃れてしまったのです。それを前後二十七度も、政府に嘆願して、ここの荒廃をおこそうとしたのですが、朝廷には費用がなく、幕府には誠意がなく、我利我利武者は、自分たちの地盤争いに血まなこで、捨てて省みる者もなかったということです。-氏経様は、その中を、時の権力で貧苦とたたかい、諸人を説きあるいて、やっと明応の六年ごろ、仮宮の御遷宮をすることができたというのです。-ずいぶん呆れるじゃありませんか。-だけど、考えてみると、私たちも、大きくなると、この体の中に、母の乳がながれて赤くなっていることは忘れてしまっていますからね。
すっかりお通に熱心に喋舌らせてしまってから、城太郎は手をたたいて飛び退き、
「アハハハ。あははの、あははだ。おれが黙って聞いていれば知らないと思って、お通さんのもみんな、請売りじゃないか」
「あら、知ってたの、-人が悪い!」
・出典
宮本武蔵 (三)/吉川英治、冬かげろ、p28,29
・関連場所、商品
結局、誰がどんなかっこいいことを言っていても、自分が考えたことではなくて過去の人間たちが積み上げた知識の上に立っているだけである。だから、他人が考えたことをさも自分が考えたことのように言うのは別に問題ではない。しかし、その発言に知識の土台がなければ足元を掬われるので注意が必要である。
宮本武蔵 (三)/吉川英治、冬かげろ、p28,29
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結局、誰がどんなかっこいいことを言っていても、自分が考えたことではなくて過去の人間たちが積み上げた知識の上に立っているだけである。だから、他人が考えたことをさも自分が考えたことのように言うのは別に問題ではない。しかし、その発言に知識の土台がなければ足元を掬われるので注意が必要である。
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