だから、やってきたことを覚えていようと思わない。というより、忘れてしまった方がいいと思っていて、ときには忘れる努力さえする。「まっさらな状態に自分をおくと次がうまくいく」というのが、自分のなかで公式としてあります。
そう思うようになったきっかけがなんであったか、じつはそれすらよく覚えていないんですが、もしかしたら、学生時代、宮沢賢治の詩を読んだことや、あるいはまた寺山修司の影響を受けたことが関係しているかもしれません。ぼくなりに彼らから学んだものは終わったものは終わったものであり、いま動いているこの瞬間が大事である。ということなんです。
大事なのは「いま」「目の前」です。「昔」はもう、どうでもいいんです。宮崎駿 = 宮さんとはもうかれこれ三◯年、ほとんど毎日といっていいほど話をしてますが、昔の話をしたことがない。いつも「いま」です。しゃべっていることは、いまやらなければいけないこと、そして、一年くらい先のことについてです。それだけでしゃべることは山ほどある。
宮さんは忘れることの名人です。それがまた、彼の映画づくりの秘密につながっていると思う。これだけ実績があるわけですから、ふつうならそれを受けて次にいきますよね。自分の手法や技法とか、その深度をより深めるかたちで勝負、という方向で、まず考えるものです。ところが宮さんはそうじゃない。新人監督のような挑戦の仕方をしています。これは宮さんの作家としての個性だけど、もしかしたら、自分のやってきたことを覚えていないからではないか。
作家の吉行淳之介さんがこんなことを言っていたと思います。「忘れてしまう記憶などは大したことないんだ」。つまり、自分の体の中にしみこむ記憶と、忘れ去られる記憶と、両方ある。メモとか日記とかに頼らなければ忘れてしまうことは、忘れてしまっていい。いまの吉行さんの言葉もうろ覚えですけど、いつのまにか自分のなかに入ってくるということが大事なんじゃないか。
(中略)
ツールがあるものはツールに任せてしまえばいいんです。そのために「記憶」がある。「記憶」と「記録」は違いますからね。ぼくは人間の記憶容量には限度があると信じていて、それならば、その記憶容量はできるだけ大事なことに当てたい。だから、自分のやったことを記憶するのは必要最小限にしよう、と思っているんです。
・出典
仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫、 序にかえて-体にしみこんでしまった記憶、 v,vi・関連場所、商品
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