「帰ろう」
小猿を肩にのせて、小次郎はいいだした。朱美は、この男の側から逃げたいと思った。-しかし、妙に逃げきれないものを感じて、その勇気が出ないのである。
「・・・・・・武蔵を捜してみたって、もう無駄だ。いつまで、この辺りにうろついているはずはない」
ひとり言をいいながら、小次郎は先へ歩いてゆくのである。
(なぜ、この悪党のそばを、離れられないのか、この隙に、逃げてしまわないのか)
と、朱美は自分の愚かさを怒りながら、やはりその後に尾いて、歩かずにあられなかった。
小次郎の肩に止まっている小猿が、その肩の上から後ろ向きになって、キキと、白い歯を剥いて彼女に笑いかけてくる。
「・・・・・・・・・・・・」
朱美は、小猿と同じ運命の者が自分であると思った。
・出典
宮本武蔵 (三)/吉川英治、枯野見、p269
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朱美は、小次郎が悪党であって、このまま尾いていっても明るい未来はないと思いながらも尾いていってしまう。逃げ出すと殺されてしまうという恐怖もあるが、それ以上に何か別の心理的葛藤が働いていると思う。こっちに進むと良くないと分かっているときは、素早く方向転換したいものだ。それが遅れるとぬかるみにハマって逃げ出せなくなる。
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