2015年2月15日日曜日

頼むべきは、よき友 竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎

「さきほどから考えているんだが、どうもあんたとわしは、たがいに藩こそちがえ、このさき、交わりをむすんでゆきたいような気がする。あんたはどうおもう。
「ちゃちゃちゃ」
「えっ」
 と小五郎がおどろくと、竜馬は大まじめな顔で、
「なに大したことはない。土佐のびっくり言葉です。いまわしはおなじことを考えていましたので少々おどろいたのだ。なるほど外夷が来るような時代になると、長州も土州もない。いまにそういう時代がくる。きっと天下に風雲がまきおこるだろう。そのとき頼むべきは、よき友だけだ。男子、よき友は拝跪してでも求めねばならない」

・出典
竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎、二十歳、p205


人生におけるよき友を探す、見つけることが生きていく上で大切そうですね。よき友に出会うために自己の練磨に努めていきます。

何を話すかより、誰が話すか 竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎

 同じ言葉でも、他の者の口から出れば厭味にも胡乱臭げにもきこえる。ところがこの男の口から出ると、言葉の一つ一つがまるで毛皮のつややかな小動物でも一ぴき一ぴきとび出してくるよう来るようなふしぎな魅力がある。
 そのくせ、雄弁ではない。体全体がしゃべっているような訥弁で、そのうえ、ひどい土佐なまりなのである。
(こういうのを人物というのかもしれない。おなじ内容の言葉をしゃべっても、その人の口から出ると、まるで魅力がちがってしまうことがある。人物であるかないかは、そういうことが尺度なのだ)

・出典
竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎、二十歳、p203,204

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大賢は愚に似たり 竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎

「あの大男か。出来そうか」
「さて、試合ってみねばわかりませぬが、多少、愚に似たような仁でありまするな」
「大賢は愚に似たりと古語にもいうぞ。鋭さを面にあらわしてあるいているような男は才物であっても第二流だ。第一流の人物というのは、少々、馬鹿に見える。少々どころか、凡人の眼からみれば大馬鹿の間ぬけにみえるときがある。そのくせ、接する者になにか強い印象をのこす。土佐ではお城下の町郷士のこときいたが、ああいう人間の型は長州にはいない」
益田越中にとって、竜馬はなにかと気になる男なのであった。自分の生涯のなかでも、もう一度会いそうな気が、しきりとする。

・出典
竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎、二十歳、p193

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親切と悪事 竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎

「こんな所から足をぬくがいい。仇討ちをするために遊女となったというのは、理にあわないな。泉下のおやじどのが、そういうあんたをよろこぶかどうか」
「弟がわずらったために仕方がなかったのでございます」
「おれは一介の諸生で金はないが、いったいどれほどの金があれば世間へもどれるんだ」
「・・・・・・」
 女は答えない。いったところで詮がないとおもっているのかもしれない。
「九両もあればいいものかね。九両ならおれ、持ってるんだ」
 竜馬はふところに手を入れ、胴巻きをさぐったが、さっき藤兵衛にあずけてしまったことに気づいて、やめた。ひどくあどけない顔つきになている。
 冴はくすくす笑って、
「あの、九両ではとても。でもそんなことをして頂くのは、いやでございます」
「そうかな。それもそうかも知れん。過度の親切というのは悪事とおなじだというからな」

・出典
竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎、朱行橙、p146

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黒船来 竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎

 竜馬は、三百年威張りちらした正体が、これか、と思った。
 (中略)江戸をまもるべくして三百年、将軍のお膝元に駐在しつづけてきた旗本八万騎である。幕府は、黒船警備に大名の力を借りようとするばかりで、直参という直衛兵団をつかわない。使えないのだ。旗本御家人はどれもこれもその日を食うのが手いっぱいの家計で、武具、馬具、家来をそろえて出陣できる金などはまるでなかった。
「武市さん、大公儀といっても、存外たいそうなものではないな。かんじんの御直参のお尻がもちあがらないじゃないか」
「しっ」
 謹直な武市は、町郷士そだちの竜馬のこういうところがこまる、とおもった。武士のくせに権威を畏敬する心がうすく、例の餅の一件とおなじで、ものをみる眼が平明過ぎるのだ。
(とにかく竜馬には、畏れ入りまする、というところがない)

・出典
竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎、黒船来、p115,116

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ピンチの時にその人、組織の本性が出る。また、ものがよくみえ、思ったことを素直に表現する人は、衝突を生むかもしれないが、よりよい方向に進むためには必要な人物なのかもしれない。

2015年2月14日土曜日

勝利と淋しさ 宮本武蔵 (三)/吉川英治

 -勝った。
 武蔵は、心のうちで、自分へ凱歌をあげてみる。
(-吉岡清十郎に、おれは勝った。室町以来の宗家、あの名門の子を、おれはたおした)
 だか、彼の心は、すこしも歓んではないのである。彼は、俯向きがちに、野を歩いていた。
 (中略)
 勝った後のさびしさ-というのは、賢い人たちの俗世的な感傷である。修行中の兵法者にはない言葉だ。けれど武蔵は、たまらない淋しさにつつまれて、果てなき野を独りあるいている。

・出典
宮本武蔵 (三)/吉川英治、枯野見、p270

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未熟な私には全然わからない感覚です。

底なし沼 宮本武蔵 (三)/吉川英治

「帰ろう」
 小猿を肩にのせて、小次郎はいいだした。朱美は、この男の側から逃げたいと思った。-しかし、妙に逃げきれないものを感じて、その勇気が出ないのである。
「・・・・・・武蔵を捜してみたって、もう無駄だ。いつまで、この辺りにうろついているはずはない」
 ひとり言をいいながら、小次郎は先へ歩いてゆくのである。
(なぜ、この悪党のそばを、離れられないのか、この隙に、逃げてしまわないのか)
 と、朱美は自分の愚かさを怒りながら、やはりその後に尾いて、歩かずにあられなかった。
 小次郎の肩に止まっている小猿が、その肩の上から後ろ向きになって、キキと、白い歯を剥いて彼女に笑いかけてくる。
「・・・・・・・・・・・・」
 朱美は、小猿と同じ運命の者が自分であると思った。

・出典
宮本武蔵 (三)/吉川英治、枯野見、p269

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朱美は、小次郎が悪党であって、このまま尾いていっても明るい未来はないと思いながらも尾いていってしまう。逃げ出すと殺されてしまうという恐怖もあるが、それ以上に何か別の心理的葛藤が働いていると思う。こっちに進むと良くないと分かっているときは、素早く方向転換したいものだ。それが遅れるとぬかるみにハマって逃げ出せなくなる。

好きだから仕方ない 竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎

「なぜ、おれの乾分になりたいんだ」
「理由なんざ、ねえ。蓼を食うようなものでさ」
 しばらく、二人はだまって歩いた。陽は落ちたが遠州灘の照りかえしで、坂は気味わるいほどあかるい。坂のふもとに来てから藤兵衛は、ぽつりと、
「好きだから仕方がねえんだなあ」

・出典
竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎、、p

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好きであることに理由も理屈もない。だた好きだから好きなのだろう。

金とはむずかしいものだ 竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎

「この金子、ありがたく頂戴つかまつりまする。ご恩は生々世々、相わすれませぬ」
「以蔵さん」
 竜馬はいやな顔をした。
「わかてくれたのはありがたい。しかしたかが金ぐらいで、武士が頭をさげるなどは薄みっとむないことだし、礼をいわれているおれのほうも恩を売っているようでいい図ではない。だがいにこの場の茶番にして忘れてしまおう」
「そ、それではこの以蔵の気がすみませぬ」
(勝手にしろ)
 幸い、番頭があがってきて、伏見へのぼる三十石船がそろそろ出る時分だから支度をしてくれ、といった。
 竜馬はほってして、
「あんたはここにいなさい。おれは夜船にのって伏見へゆく」
 竜馬は、逃げるように船着場へ出た。
(中略)
(どうも、愉快でないな)
 さきほどの以蔵の一件であった。
 以蔵が不快なのではなく、ああいう金の出しかたをした自分が愉快でなかった。
(いい気なものだ)
 あれでは、まるで恵んでやったようなものではないか。こちらがああいう与えかたをすれば、以蔵でなくても、当然、犬が食物を恵まれたような態度をとるしかない。
(金とはむずかしいものだ)
 正直なところ、うまれてこのかた金に不自由したことのない竜馬にとって、これは強烈な経験だった。あれだけの金で大の男が犬のように平つくばるとは、はじめ考えてもいなかった。
(旅は世の中を教えてくれる、と兄はいったがこれも修行の一つかな)

・出典
竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎、江戸へ、p60~62

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感謝の押売り 宮本武蔵 (三)/吉川英治

忠実と自得 竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎

 「ひとの中には、先人の学問を忠実に学ぼうとする型と、それよりも自得したいという型のふたつがあるといいます。竜馬どのはあとの型で、その心が並はずれて強いひとだと思います。そういう型は、唐土の曹操のように乱世の英雄に多い、と兄上が申していましたから、田鶴はいちど、その乱世の英雄に会ってみたいとおもっていました。ところがいざ、お会いしてみると」
「どうでございましたか」
「魅き入れられるような所のあるお人ですね」
「それは、お嬢さま-」
 はつは、こわい顔をしてみせた。

・出典
竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎、門出の花、p45,46

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英雄の道 竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎

 客引きの女中に袖をひかれるまま、竜馬は鳴門屋という船宿の軒をくぐった。
(中略)
 竜馬は二階へ案内された。
「ずいぶん、混んでおるな」
「はい、三日も船待ちなされておるお人もいらっしゃいます。-ああお武家さまのお部屋はこちらでございますよ」
「その部屋は、いやだ」
 竜馬は、どんどん廊下を歩いて、別の部屋に入りこんでしまった。すわるとすぐ、
「酒をくれ」
 土佐者は酒を茶のように飲む。
「あの、このお部屋は、もうすぐお着きになるお客様のお部屋でございます」
「おれは、ここだ」
 きめてしまっている。竜馬は、もともと頑固でなさすぎるほどの男だが、他人にきめられたとおりにするのが、だいきらいなたちなのである。後年、かれは口ぐせのようにいった-
(衆人がみな善をするなら、おのれひとりだけは悪をしろ。逆も、またしかり。英雄とは、自分だけの道をあるくやつのことだ)
 だまって、にこにこ笑っている。

・出典
竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎、門出の花、p32,33

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2015年2月13日金曜日

感謝の押売り 宮本武蔵 (三)/吉川英治

「恩着せがましくいうのじゃないが、いつまでも覚えてくれているだろうな」
「ええ、ご恩は」
「そんなことじゃない、おれがまだ独り身だということをさ。・・・・・・伯父の半蔵がやかまし屋でなければ、邸へ連れて行きたいところだが・・・・・・まあいい、小さな旅籠がある、そこの亭主も、おれのことはよく知っているから、おれの名を告げて泊まるといい。・・・・・・じゃあ、おさらば」

 先の好意はわかるし、親切な人とも思いながら、その親切に少しも欣べないばかりか、親切を示されれば示されるほど、かえって厭わしくなる人間というものはよくある。
 拓殖三之丞に対するお通の気もちがそれだった。
(底のわからない人)
 という最初の印象が妨げるせいか、わかれに臨んでも、狼から離れたように、ほっとはしたが、心から礼をいう気になれない。
 かなり人みしりをしない城太郎さえが、その三之丞とわかれて峠を隔てると、
「いやな奴だね」
 と、いった。
 きょうの難儀を救われたてまえにも、そういう陰口はいえない義理であったけれど、お通もつい、
「ほんとにね」
 と頷いてしまい、
「いったいなんの意味なんでしょう、おれはまだ独り者だということを覚えていてくれなんて・・・・・・」
「きっと、お通さんを今に、お嫁にもらいに行くよという謎なんだろ」
「オオいやだ」
 それから二人の旅は至って無事だった。

・出典
宮本武蔵 (三)/吉川英治、孤行八寒、p172,173

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・相反記事
たかが金 竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎

いいなぁと思う大人を参考に 俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく”族”を目指して〜/哀川翔

 俺が5歳のときに、親父が事故でなくなってしまった。お袋は親父の役目も果たそうとしたのか、しょっちゅうゲタを持って追いかけてきた。
 厳しく育てられたと思う。でも大人になって振りかえったら、お袋が怒るポイントはなにひとつ間違ってなかったよ。だから「子どもと一緒に生活するときの大人のあり方」として、俺はお袋を参考にすればいいやと思った。
(中略)
 よく「自分に親父がいないから、どういうふうに父親をやっていいのかわからない」って人がいるけど、俺は悩んだりしなかったね。「父親像」にこだわる必要はない。自分が見てきて、いいなぁと思った大人を参考にすればいいだけだよ。

・出典
俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく””を目指して〜/哀川翔
第⑤章 ”族”づくりの秘訣、p103

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「自分が見てきて、いいなぁと思った大人を参考にすればいいだけだよ」まさにその通りだなと思います。

価値観を認めてあげる 俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく”族”を目指して〜/哀川翔

 ”ベタ関係”っていうのは、お互いに価値観を押しつけあう関係じゃなくて、それぞれの価値観を認めあいながら、共存していく付き合いのことだ。
 いろんな人がいろんな価値観を持ちよって、認めあいながら生きていくのが仲間だし、家族だよ。
 この”ベタ付き合い”をしてないと、自分の価値観だけで生きていけるから、他人の価値観が受けとめられなくなる。
 そういう親は、子どもにも自分の価値観を押しつけて、「私の価値観のなかで生きてほしい」と思っている。
 他人と共存してこなかった大人の価値観なんて、すごく狭くて偏ってるよ。そんな考えのなかに子どもを閉じこめたら大変だ。子どもも一時は「おかしいんじゃない?」と思うだろうけど、毎日洗脳されているうちに、やがてほかの価値観が見えなくなる。
 すると、表面的にはいい子に育つよ。
 親の前ではすごくいい子。
 でもそのひずみは、遅かれ早かれ絶対に「人付き合い」のどこかで問題になって出てくる。
 友達付き合いがうまくいかなくて、子どもながらに原因を探るうちに、「うちの親がおかしかったんじゃないか?」って突きとめられて嫌われるよ。
 そうならないためにも、子どもの個性や独自の価値観を認めることだ。親子といえども、別々の人間。価値観や好みはそれぞれだから、「俺には理解できない」と思っても認めてやらなきゃいけない。
 そもそも、人と関わるって面倒くさいことなんだよ。
 かく言う俺だって「人付き合い」はあんまりうまくはない。(中略)
 でも、人間関係でしか学べないことはたくさんある。むしろ、人間としてたいせつなことのほとんどは、人間関係のなかでしか学習できないと俺は思う。
 いろんな人に揉まれて価値観を共有していくと人間に柔軟さが生まれる。それが人間関係をさらに円滑に運ぶ鍵になる。

・出典
俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく””を目指して〜/哀川翔
第③章 親も努力を、p70,71


いいところだけ伸ばす 俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく”族”を目指して〜/哀川翔

 子供のいいところを探すにはどうすればいいか。
 そんなの簡単なことだよ。
 いい顔して笑ってる瞬間を探せばいいんだ。
 ウチのこはどういうときに、なにをしているときにいい顔をするのか。
 そしたら、すごく面倒見がいいとか、笑いのセンスが鋭いとか、人の気持ちがわかる優しさを持っているとか、なんかいいところが見つかるはずだよ。今度はそれを伸ばしていけばいい。いいところが伸びるようなことをやらせておけば、それだけで一日が終わるから。
 みんな「頭が悪いから勉強させよう」みたいに、悪いところを探して補填しようとするからおかしくなるんじゃない? 人間なんて悪いところのほうが多いんだから、きりがないし、子どもも親も楽しくないよ。
 いいところだけ伸ばすのはお互い楽しい。親はそれを見つけてあげる義務があると思うね。

・出典
俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく””を目指して〜/哀川翔
第②章 子どもの学校にも出撃、p39,40

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哀川さんの本を読んでいると、紹介したい文章ばかり出てくる。哀川さんの考え方には到底及ばない。

見て見ぬフリをしない 俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく”族”を目指して〜/哀川翔

 俺は街で遊んでいる子どもたちによく出くわす。
 公共のマナーを守れない子どもには、大人が「それはダメだ」って教えてあげないといけないのに、ゴミを捨てる子を見てもだれも注意しないのはなんでだろう。
 どう注意していいのかわからないのかもしれないけど、大人が見て見ぬフリするのはよくない。それって、シカトしてるってことでしょ?
 子どもをシカトする社会ってどう考えてもおかしいよ。
 そこは一歩、注意する勇気を持ってほしいね。そこから変えていけば社会が変わると思うから。ただ、急に目一杯やろうとすると意気込んじゃっておかしくなるかもしれないから、普段からちょっとずつ言うようにしておいたほうがいい。
 俺はいま、「ゴミは捨てるな」「ゴミ拾え」活動に入ってる。
 そのまんまの活動なんだけど、ゴミをポイっと捨てるやつがいたら「ダメだよ、捨てちゃ」って言うの。そのひと言でいい。なんでもそうだよ。なにも「クラァァァ!!!」ってけんか腰で言う必要ないから。柔らかく「しちゃいけないよ」って言えばいいんだ。
 そしたら子どもはドキッとする。子どもは心の中で「わ、注意されたよ。でもまぁポイ捨てしたらダメだよな」って思う。ゴミを捨てるのが悪いことだっていうのは、だれでも知ってるからね。たとえそのとき「うるせえ」って思っても、大人に注意された事実は残る。その記憶が大事なんだよ。
 その子が大人になって、かつての自分みたいにゴミを捨てる子どもを見たら、「あ、俺も注意されたな」と思い出すかもしれない。そしたら今度は自分が「ゴミを捨てたらダメだよ」って言える大人になる可能性がある。
 子ども100人に声をかけたら、ひとりくらいはそういうやつが出てくるはずだ。そのために種をまいておかなきゃいけない。
 俺の「ゴミ拾え」活動も、種まきなんだ。だれもそんなこと言う大人がいなかったら、そこを目指す子どもがいなくなるからね。
 そのときは価値がわからなくても、大人になってからわかることってある。子どものころに怒られまくった怖い先生が懐かしくなるみたいなもんで、知らない大人に注意されたことにありがたみを見出せるようになるはずだ。
 日本の未来のためにも、大人には勇気を持ってほしいね。

・出典
俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく””を目指して〜/哀川翔
第②章 子どもの学校にも出撃、p39,40

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この話を聞いて、私も小学校のときに、見ず知らずのおじさんに叱られたことを思い出しました。その時は「なんだ、このおっさん」と思いましたが、そういう経験をしたことは今となっては貴重な体験だったんだなと思いました。

見えてるのに、見えてないフリ 俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく”族”を目指して〜/哀川翔

 俺はよく学校へ行ってるから、子どもたちを見てグレそうな予兆がわかる。親同士もたいてい知ってるから、その子の親に直接「子ども、おかしいよ」と言ったりもするけれど、ほとんどの親が「そんなことない」って言いきるね。
「じゃあ、学校に見にくれば?」って言っても、絶対に来ない。
 結局わかってるんだ、自分の子がグレはじめたって。見えてるのに、見えてないフリしてるだけ。
 そうなったら、たいてい次の学年には学校を辞めていなくなる。辞めたあとの子どもは、もう顔つきが変わるね。悪人の顔になる。悪人顏になったやつは、俺の顔を見ると逃げるよ。また怒られるんじゃないかと思って、目を逸らす。
 その悪人顏は俺たちの時代の「不良」とは違う顔をしてるよ。俺は不良って言われると昔懐かしいバンカラな番長みたいなイメージが湧くんだけど・・・・・・。それに、不良がする「悪さ」って主には喧嘩だけど、悪人顏の「悪さ」はちょっと違うんだ。
 そういうやつらが刃物を持ちだして人を斬りつけたりする。それはもう「不良」じゃなくて「犯罪者」だ。
 そうなるのも親が子どもと闘っていないからだよ。自分のことで精一杯で、闘う気力がないんだろうね。それじゃあ、子どもはついてこないし、家族はまとまらないよ。

・出典
俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく””を目指して〜/哀川翔
第②章 子どもの学校にも出撃、p39,40

集団がまとまる秘訣 俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく”族”を目指して〜/哀川翔

 結局、喧嘩したりぶつかったりするのは闘いだけど、そのぶん問題を乗りこえて、解決してきた数も多いってことだ。
 逆に言えば腹にイチモツありながら波風立たないようにしている家族っていうのは、なにひとつ問題を解決できていないってことでしょう。
 家族の問題なんてひとつひとつは、本当に些細なこと。
(中略)
 日常の揉め事なんてこんなもんだ。でもなぁなぁにしないで、その都度「じゃあこうしよう」って解決策を講じる。それが家族という集団がまとまる秘訣になると思う。

・出典
俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく””を目指して〜/哀川翔
第①章 オレ流の叱り方・殴り方、p29

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この吐き出し方、解決方法、自分にはまだまだできていない。参考にしたい。

喧嘩しない家族 俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく”族”を目指して〜/哀川翔

 怒ることって、嫌いになるためじゃなくて、相手をうまくやっていくためのものだ。
 ”喧嘩するうちが花”って言うけど、まさにその通り。だから、相手のことを信じて思いっきりものがいえる関係っていうのが一番いいと思う。
 喧嘩もしなくなったら家族は終わりだよ。喧嘩しない家族って、ニセモノの家族みたいじゃない。
 まるでお受験で学校に提出する家族写真みたいだよ。親は仕事ばかりして滅多に子どもと遊ばないのに、デパートの写真館で修正入れまくって仲良さそうなファミリーに仕立て上げてる感じ。平面的でペラペラ。でもそういう見栄っ張りな家族は多いと思う。
 ウチは恥も外聞もなく、おおっぴらに喧嘩はするけど、ハートがある。
(中略)
 次の日にはみんなその(喧嘩)の話で盛り上がったりして、親子ゲンカを家族共通の話題として楽しんでる。だから、怒られた本人もだれも落ちこまない。次の日にはケロッとしてるね。

・出典
俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく””を目指して〜/哀川翔
第①章 オレ流の叱り方・殴り方、p20,21

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思ったことが伝え合える、議論ができるということは、どんな関係にも大事だろうな。

観る目 宮本武蔵 (三)/吉川英治

 かぞえても幾人もない親類である。努めて、その人達をば、助けたり助けられたりして行きたいものと、彼のみは、思うのだった。
 だが武蔵のそんな考え方は、実世間を知らない彼の感傷に過ぎない。若いというよりも、幼稚なほど彼はまだ、人間を観る目も、世の中を観る目も、そういう方にかけては、知ることの浅い青年に過ぎなかった。
 彼のような考えは、彼が大いに名を成すか、富を得るかした後に考えるならば、少しも不当にはならないが、この寒空を、垢じみた旅着一枚で、しかも大晦日-たどり着いた親戚の家で考えたりすることではない。
 その考えの間違っていた反証はやがてすぐ現われた。
(すこし休んでいけ)
 と、叔母がいってくれたことばを力にして、彼は、空腹をかかえて待っていたが、宵から勝手元で煮物のにおいや器物の音がしていたにもかかわらず、彼の部屋にはなんの訪れもないのである。

・出典
宮本武蔵 (三)/吉川英治、孤行八寒、p172,173

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ホームレス男性に学ぶ/WHAT

「OckTV」というYouTubeチャンネルが、 “道行く人々に「食べ物を分けてくれませんか」と声を掛けたらどのような反応が返ってくるのか?” という実験を行いました。

街で食事をとる人々に、次々と声をかける仕掛人。しかし、身なりのしっかりした仕掛人の言葉に誰も耳を傾けてはくれません。それどころか、「ふざけるな」と罵る人も。

一方、別のスタッフが一人のホームレス男性にモーションを。彼らはホームレス男性にピザを一箱分けると、その場からすぐに立ち去ります。そこに、仕掛人が現れます。仕掛人はホームレス男性に「お腹が減っているんだ。生活が苦しくてね。ピザ余ってないかな?」と訪ねます。すると男性は「あるよ」と即答。すぐさまピザを一切れ、分け与えたのでした。「本当にいいの?」と聞く仕掛人に、「もちろん、もちろん」と快く答えた男性は、靴下さえも履いていません。しかし目の前で困っている人に、嫌な顔一つせず、暖かな手を差し伸べたのです。

仕掛人はお礼を言うと、現金を渡してその場を後にします。その行為に、ホームレス男性は声を殺して涙しました。この動画は公開されてから約4週間で2300万回以上も視聴され、世界中で話題となっています。

ホームレス男性の行いと、動画の最後に浮かぶ「人は得るもので生計を立て、与えるもので人生を築く」という、前イギリス首相ウィンストン・チャーチル氏の言葉に、大切な事を学びました。



・出典
「食べ物を分けてくれませんか」ホームレス男性の涙の理由に大切な事を学ぶ/WHAT

 

2015年2月10日火曜日

気づいたら即、怒る 俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく”族”を目指して〜/哀川翔

 なにか気になることがあったら、気づいた瞬間に、すぐ子どもに言ったほうがいいよ。小さなことでも、積もり積もれば大爆発になるから。なにかのきっかけで、目の前のこと以上の大きな怒りが出てきたら子どもも戸惑ってしまうし、ムカつきも出てくる。
 たとえば、ウチは「事後報告は許さない」という掟がある。どこか遊びに行く場合は、前もって報告するというルール。
 そういう大事なルールの話をしているのに、子どもが”心ここにあらず”で人の話を聞いていなかったとする。それに気がついたら、俺は即「おい、人の話聞いてんのかよ!」と怒る。小さいことだけど、気になったら溜めておかないんだ。

・出典
俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく””を目指して〜/哀川翔
第①章 オレ流の叱り方・殴り方、p8

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 最近、高ストレス社会と呼ばれて久しい。ということは、現代人はストレスの抜き方が下手になってきているということ。尊敬している所ジョージさんは「毎日、楽しい。起きて目が覚めただけでも、ヤッターってなるよ」と言っていた。職場、学校、友達、誰とも思ったことを言い合えない。そんな感じだろうか。日本の中には「本音」と「建前」というものが存在していて、このバランスをとることは難しいですね。これを乗りこなすことが日本社会を生きていくということではなかろうか。

叱る、怒ることを見つけ言う 俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく”族”を目指して〜/哀川翔

 いまは「子どもをどう叱ったらいいのか、どう怒ったらいいのかわからない」という大人が本当に多い。これが家族がおかしくなっていく、オオモトのような気がするよ。
 俺、なんで叱れないんだろうと思って、一回まわりの大人に聞いてみたんだよ。そしたら「嫌われたくないから」ってみんな言ってた。やっぱり叱ると相手から嫌われると思ってるんだね。俺、子どもを叱って嫌われたことなんて一回もない。嫌われる人は、叱り方が間違ってるんだと思うよ。
 世間には「感情をコントロールして自分の怒りを出さないようにすることが”大人”だと思うから子どもを怒鳴らない」っていう人もいるけど、冗談じゃないね。怒鳴らない大人っていうのは、冷静なんじゃなくて「子どもがしちゃいけないこと」がなんなのか、わからないだけじゃない? もしくは怒る元気がないか。のらりくらり生きてるやつは、怒る気力も湧いてこないだろうから。

・出典
俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく””を目指して〜/哀川翔
第①章 オレ流の叱り方・殴り方、p8

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 「叱る」=「嫌われる」という図式が成り立っている人はかなり多いと思う。私もどちらかというとみんなから好かれたい人間だ。しかし、どんなことをしようと一定数の人はその行動を嫌うし、一定数の人はその行動を好く。世の中には鞭で叩かれたい人もいれば、鞭で叩きたい人もいるのだ。「叱る」=「いけないことを伝える」、「自分の価値観を伝える」ということを好いてくれる人は必ずいるだろう。そうしているうちに、自然と自分の周りに残っていく人間が本当に一生付き合っていける仲間になるのではなかろうか。

文句を言い合える家族 俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく”族”を目指して〜/哀川翔

 俺たち夫婦は倦怠期が訪れても不思議はない結婚17年目だし、更年期に入る50代を迎えた。5人いる子どものうちだれかは反抗期といっても過言じゃない。地雷がいっぱい埋まったような家だよ。ただ、俺はカミさんとも子どもとも、きちんと向きあって、常に文句を言いあって、コミュニケーションを取ろうとしているから、なんとか家族として成りたってる。こんなやり方もあるんだなぁって思ってもらえればいいよ。

・出典
俺んち、やばくない!? 〜家族ではなく””を目指して〜/哀川翔
はじめに、p3


 文句を言い合える。そういう集団ってかなり減ってきている気がする。文句とはある一人の主観から見て、マイナスに思えることを相手に伝えること。つまり、本人が良かれと思ってやっていることでも、相手にとってマイナスに働けば文句を言われることもある。相手を喜ばせるって難しいですね。明石家さんまさん流に言うと『「〜のため」っていう言葉は「自分のため」以外は使ってはいけない』と言われると思います。

請売り 宮本武蔵 (三)/吉川英治

「室町幕府が無能だったので、内乱ばかり起こって、力ある者と力のある者とが、自分たちの権力ばかりを通そうとし、人民たちは一日とて、安き日もなかったほどですから、国のことなんか、まじめに考えてみる人もありません。
「山名、細川なんかの喧嘩だろう」
「そうそう、戦を、自我のためにばかりしていました、手のつけられない私闘時代。-その頃、荒木田様の遠い先は、荒木田氏経といって、やはり代々、この伊勢の神主さまを勤めてきたんですが、世の中の我利我利武者が、わたくしの喧嘩ばかりしているために、応仁の乱の頃からは、たれもこんな所をかえりみる者がなく、古式も御神事もすっかり廃れてしまったのです。それを前後二十七度も、政府に嘆願して、ここの荒廃をおこそうとしたのですが、朝廷には費用がなく、幕府には誠意がなく、我利我利武者は、自分たちの地盤争いに血まなこで、捨てて省みる者もなかったということです。-氏経様は、その中を、時の権力で貧苦とたたかい、諸人を説きあるいて、やっと明応の六年ごろ、仮宮の御遷宮をすることができたというのです。-ずいぶん呆れるじゃありませんか。-だけど、考えてみると、私たちも、大きくなると、この体の中に、母の乳がながれて赤くなっていることは忘れてしまっていますからね。
 すっかりお通に熱心に喋舌らせてしまってから、城太郎は手をたたいて飛び退き、
「アハハハ。あははの、あははだ。おれが黙って聞いていれば知らないと思って、お通さんのもみんな、請売りじゃないか」
「あら、知ってたの、-人が悪い!」

・出典
宮本武蔵 (三)/吉川英治、冬かげろ、p28,29

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 結局、誰がどんなかっこいいことを言っていても、自分が考えたことではなくて過去の人間たちが積み上げた知識の上に立っているだけである。だから、他人が考えたことをさも自分が考えたことのように言うのは別に問題ではない。しかし、その発言に知識の土台がなければ足元を掬われるので注意が必要である。

2015年2月9日月曜日

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陰口と悪口 お前なんかもう死んでいる/有吉弘行

 芸能界の毒舌王の名を欲しいままにしている有吉だが、彼にも「毒舌」に対するポリシーがある。それは「悪口は言ってもいいが陰口はダメ」というもの。本人に面と向かって毒を吐くことはいいが、本人のいないところで毒を吐くことは決して笑いにはつながらないという。

・出典
お前なんかもう死んでいる/有吉弘行、第②章 「どん底生活」11の法則、人に蔑まれるのが嫌だった時代・・・プライドなんか早く捨てればよかった!!、p49

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この陰口と悪口の使い分け方はいいなと思う。

たわ言 宮本武蔵 (三)/吉川英治

 よく強がった侍が、念仏のようにいう、必死とか、覚悟などという言葉も、武蔵の考えからすると、取るに足らないたわ言のように思える。
 およそ人なみの侍が、こういう場合に立ち至った時、必死になることなどは、当然な動物性である。覚悟の方は、やや高等な心がまえであるが、それとても、死ぬ覚悟ならば、そう難しいことではない。どうしてもしなねばならぬ事態に迎えられてする死ぬ覚悟だとすれば、なおさら、誰もすることである。
 彼がなやむのは、必死の覚悟が持てないことではなく、勝つことなのだ。絶対に勝つ信条をつかむことである。

・出典
宮本武蔵 (三)/吉川英治、神泉、三、p13,14

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 武蔵さんのように「死ぬ覚悟はそう難しいことではない」なんて、簡単に言えないけれども、結局は何事も勝つことが大切だということだ。覚悟なんてどうでもいいから、相手に、社会に、自分に勝とう。勝てないときは逃げよう。

武蔵の反省 宮本武蔵 (二)/吉川英治

 彼は今、自分の体というものに対して、日々、細心ないたわりを施していた。そうした注意を抱いていたに関わらず、鳴門港の混雑の中で、釘の立ッている荷箱の板を踏みつけてしまったのである。昨日から傷に熱を持って、足の甲は樽柿のように地腫れがしていた。
(これは、不可抗力な敵だろうか?)
 武蔵は、釘に対しても、勝敗を考えるのだった。-釘といえども兵法者として、こういう不覚をうけたことを恥辱に思うのだった。
(釘は明らかに、上を向いて落ちていたのだ。それを踏みつけたのは、自分の眼が、虚であって、心が常に全身に行き届いていない証拠だ。-また、足の裏へ突きとおるまで踏んでしまったことは、五体に早速の自由を欠いたからで、ほんとの無碍自在な体ならば、草鞋の裏に釘の先が触れた瞬間に、体は自らそれを察知しているはずである)
 自問自答してこの結論を下して、
(こんなことでは)
 と、自己の未熟を反省され、剣と体とがまだまだ一致しない-腕ばかりが伸びてほかの体や精神が合致しない-一種の不具を感じて忌々しくなるのだった。

・出典
宮本武蔵 (二)/吉川英治、物干竿、p381

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自分が嫌な気持ちになった時、それは何かに負けた時。どうしたら嫌な気持ちにならずに済むか対策を考えたいですね。

一流の者には仕事の位を見抜かれる 宮本武蔵 (二)/吉川英治

(主人はいるか)
 と訊かれたが、生憎不在なのでその由を職人が答えると、
(頼みたい研物を持って来たのだが、比類ない名刀だから主がいなくてはちと不安心だ。いったいお前の家では、研や装剣の仕事にかけて、どれほどの腕があるのか確かめてからのことにしたい。-なにかここの主の研いだ物があるなら見せろ)
 ということなので、畏まって、然るべき刀を幾口か出して見せると、それぞれ無造作に一見して後、
(つまらぬ鈍刀ばかりをお前の家では手がけていると見えるな。そういう研師の手にかけるのは心もとない。わしが頼むという刀は肩に負っているこの物干竿という名称のある伝来の逸品、無名だがかくの通り摺上もない備前の名作だ)
(中略)
(ひとつ、京都で研がせよう。大阪はどこの刀屋を覗いても、雑兵のもつ数ものばかり荒砥にかけておる、イヤ邪魔をした)
 と、涼しい顔をして、さっさと立ち去ってしまったというのである。

・出典
宮本武蔵 (二)/吉川英治、物干竿、p355,356

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プロに出会えるプロになれ お客さんではなくファンができる経営/浅野悦男

目に見えないところの努力は必ず、仕事、人相に出てくると信じてやっていくしかないですね。反対に目に見えないことろで怠けているとそれも出てくるんでしょうね。

2015年2月8日日曜日

私の知ってる私とあなたの知ってる私 宮本武蔵 (二)/吉川英治

 青い海が、ふと誘惑でさえあった。朱美は、海を見つめていると、自分が怖くなった。何のためらいもなく、真っ直ぐにそこへ向かって駆けて行かれる気がするのである。
 そのくせ自分がこんなつき詰めた考えを抱いているなどということは、およそ彼女の養母のお甲もしらない。清十郎も思わない。誰でも朱美と一つに暮らした者は皆、この娘は至って快活で、お転婆で、そしてまだ、男性の恋愛が受け取れないほど開花の晩い質だと思いこんでいるらしいのである。
 朱美はそんな男たちやまた養母を、心のうちであかの他人と思っていた。どんな冗談でもいえるのである。そしていつも鈴のついた袂を振って、駄々っ子みたいに振舞っているのだったが、独りになると、春の草いきれのように熱いため息をついていた。

・出典
宮本武蔵 (二)/吉川英治、わすれ貝、p327,328

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自分は本当はこんな人間なのに、相手は私のことを全然わかってくれない。そんなことを考える日もありましたが、私から見えている私はそれで本当だし、相手から見えている私も相手にとっては本当なのです。じゃあ、どうすればいいかというと、これといって解決策は思い浮かんでいません。

忘れたい、忘れたくない 宮本武蔵 (二)/吉川英治

-忘れたい。
 苦しくなると、そう思うほどだったが、また、
「忘れたくない」
 朱美は、胸を抱いて、矛盾の境に立った。
 もしほんとうにわすれ貝という物があるならば、それはあの清十郎の袂へこそ、そっと入れてやりたい。そしてこの自分という者を彼から忘れてもらいたいと、ため息ついて思う。
「執こい人・・・・・・」
 思うだけでも、朱美は心がふさいだ。自分の青春をのろうために、あの清十郎は生活しているような気持ちにさえ襲われる。
 清十郎のねばり濃い求愛に、心が暗くなるときは、必ずその心のすみで、彼女は武蔵のことを考えた。-武蔵が心にあることは、救いであったが、また苦しくもなってきた。なぜならば、遮二無二に今の境遇を切り解いて現在の身から夢の中へ、駆け出してしまいたくなるからだ。
「・・・・・・だけど?」
 彼女は、しかし幾たびもためらった。自分はそこまでつき詰めているが、武蔵野気もちはわからなかった。
「・・・・・・アアいっそのこと忘れてしまいたい」

・出典
宮本武蔵 (二)/吉川英治、わすれ貝、p326,p327

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3月のライオンの題材の設定理由 3月のライオン 1/羽海野チカ

気になってしまったということは、今の自分が向き合うべき課題なのでしょう。

探しもの 宮本武蔵 (二)/吉川英治

「皆さんは、始終喧嘩ばかり探しているんですね」
 と、たしなめ顏にいう。
「何も喧嘩を好むわけじゃないが、そんな青二才を、黙って捨てておいては天下の兵法所たる京流吉岡の名折れになるじゃないか」
「なったっていいじゃありませんか」
「ばかいえ」
「男って、ずいぶんつまらないことばかり探して、日を暮らしているんですね」

・出典
宮本武蔵 (二)/吉川英治、わすれ貝、324,235

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夢の中へ/井上陽水

探し物はなんですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中も机の中も
探したけれど見つからないのに

まだまだ探す気ですか?
それより僕と踊りませんか?
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?

2015年2月7日土曜日

奢ってもらうときは仕事だ!! お前なんかもう死んでいる/有吉弘行

 僕ら芸人同士で飲むときは、たいてい先輩が後輩の分も出してくれます。基本、先輩が後輩に奢るっていう感じですよね。
 サラリーマンでもそうだと思いますけど、上司や先輩と飲みに行くと、やっぱり奢ってもらうことが多いと思うんですよ。まあ割り勘もあるでしょうけど。それども上の人間が払うっていうことが多いんじゃないかと思うんですよ。
 そこで人に奢ってもらっといて、上司に文句言うようなヤツがいますけど、金出してもらって文句言うなんてもってのほかだと思います。
 人の金で飲むときは「仕事だ」って思わなきゃいけないんですよ。人に金出してもらってる限りは、「楽しもう」なんて思っちゃいけないんです。
 だから逆に僕が後輩に奢るときには、気分悪いこというヤツなんかは「もう一生誘わない」って思いますもん。「本当に楽しく飲みたいなら自分で金払え!」って言いたいです。人の奢りで飲むのは、「”仕事だ、修行だ”と思って飲め!」ってことです。

・出典
お前なんかもう死んでいる/有吉弘行、第⑤章 「現代人へ送る」15の法則、「楽しもう」なんてもってのほか!人の金で飲むときは”仕事”と思え!!、p160,161

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驚愕の考え方。私の中にはこの考え方はなかった・・・。

現状維持は下降線 お前なんかもう死んでいる/有吉弘行

 「月収30万キープ!」と思った僕ですが、そう思うとキープできないもんなんです。キープどころか減っていくんですよ。「30万キープ」って思った次の月が25万だったりして。「仕事増えなくてもいいや」って思うと、仕事が減っていくんですよね。
 というのも、「30万キープ」と思った瞬間、そこから欲が出ないんですよ。「今のまんまでいい」と思っちゃうんです。「現状維持でいい※6」って。そうすると守りに入って、「この番組だけやってりゃいいや」とか、「他に呼ばれなくてもいいや」とか思って、他の番組スタッフともあんまり付き合わないようになるし、新しい人脈とかも増えないんで、仕事の広がりがないんです。それどころか、守りに入るとやってること自体が面白くなくなるんで、「この番組さえやってりゃいいや」と思った番組からも「有吉、レギュラーじゃないだろ」ってことで、今までしょっちゅう呼ばれていたのが呼ばれなくなったり。結果、現状維持すらできずに、仕事がへっていくっていう。
 現状維持するって難しいんですよね。「これキープ」とか、「これだけやっとやいいだろ」みたいに思うと、絶対に落ちていきます。現状維持どころか、仕事が減っていきます。
 守りに入っちゃダメなんですよね。ちょっとぐらい欲出さないと、現場から落ちていくんですよ、絶対に

※6 目標「現状維持」のダチョウ倶楽部
芸歴25年(たぶん)のダチョウ倶楽部の芸能界での目標は「現状維持」。決して落ちぶれることもなければ、決して人気が上がることもないそのポジションはまさに現状維持! あっぱれ!!

・出典
お前なんかもう死んでいる/有吉弘行、第④章 「プロ一発屋」9の法則、「月収30万」をキープできれば一生幸せだ!!、p125,126

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この最後にダチョウ倶楽部について触れることに、有吉さんの愛を感じる。

自分よりダメな人間と付き合うようになったら要注意!! お前なんかもう死んでいる/有吉弘行

 楽しいのは、自分よりもっと下のみじめな連中と会うのが一番いいんですよね。自分よりみじめな連中に安い酒奢って、「こいつらよりはまだいいぞ。俺の方が上だな。下には下がいるよな」っていうことを確認しながら飲むっていうのは一番発散になるんですよね。
 そこでわかったのが、今までより下のレベルの人間と付き合うようになったら要注意だってことです。今まで付き合ってた友達に「なんか会いづらいんだよな」って思うようになったら危険です。明らかに自分の生活レベルが落ちてます。そのうえ、今までと比べて明らかに下のレベルの人間と一緒にいるようになったら、確実にマズイです。
 自分がどの程度の生活レベルにいるかっていうのは、自分のまわりにいる人間を見ればわかるっていいますよね。芸人もそう。よく仕事するヤツは同じぐらいの年収ですもん。それがいつも顔合わせてた芸人と番組とかで会わなくなると、「ちょっと落ち目かな・・・・・・」ってわかります。
 そこで、自分が今まで付き合ってた人間と会いづらいからって、今までより下の連中と付き合うと、そっちに引っ張られていくんです。なぜかそういうもんなんですよね。付き合ってるまわりの人間のレベルに自分も染まっていくものなんですよ。自分より下の人間と付き合うとそっちに落ちていっちゃう。
 逆に自分より上の人間と付き合うと、そっちに引っ張られていくんです。上の人間のレベルに近づいて上がっていくものなんですよ。だから貧乏人と付き合っちゃいけないんです。やっぱり金持ちと付き合わなきゃダメなんですよ。
 貧乏人と付き合ってたら本当に貧乏にしかならないですから。金持ちと付き合うと不思議と自分も金持ちみたいになってくるものなんです。そっちのほうに引っ張られて自分も上がっていくんです。
(中略)
 竜さん最近、僕らより下の若手芸人と付き合い始めてますから。(中略)
 あれは確実に危ないです。落ちてると思って間違いないです。

・出典
お前なんかもう死んでいる/有吉弘行、第③章 「地獄で発見」11の法則、上島さんみたいに自分よりダメな人間と付き合うようになったら要注意!!、p104~106

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この最後に上島竜兵さんについて触れるところに有吉さんの愛を感じる。

カネは品位を現す量り 早起きは「3億」の徳/哀川翔

「自分のカネを使ってる人間かどうかは、登場した時のオーラでわかる。そこはある種、ある部分の人間の品位を現す量りだから」

 俺、やっぱりせこいやつとは友達になりたくないよ。
 それが一番分かるのはね、カネ払うとき。カネ払うときなんだけど、でも飲みにいくまでもなく、自分で払いたいタイプなのか人に払ってもらいたいタイプなのか、仕事の現場で会ったときにだいたい分かるよ。これはハッキリ分かれてるから。もう、登場した瞬間に分かる。登場したときのオーラで分かるよ。全然違うもん。
 で、実際に飲みにいったらその正解が分かる。あいつは奢ってるな、あいつは奢られてばっかりだな、あいつはたまに奢ってるな、とかそういうのが全部分かるわけだからさ。そういうところを俺はしっかり見てるから。
 そこをチェックするともうモロに人間が見えるよ。
 それを見て、こいつは俺と同等の付き合いだなとか、こいつはもう見下ろしだな、みたいなものが決まるのよ。俺らはそういう量り方しかないからね。
 カネ出さないやつは見下ろすよ、俺。当然でしょ。
 カネに対してどういう態度かっていうのは、ある種、ある部分の人間の品位を現す量りだから。いや、これはカネがないからダメで下品ってことじゃないんだよ。その人間の立場や稼ぎに対してどうしてるかを見るわけだからね。その時々の状況によってそれは変わる。その立ち居振る舞いで、自分のことを分かってる人は上品なんだよ。でもそこが下品なやつはもう見下し決定だよ。そんなやつとは付き合いたいくないから、切り捨てていくね。

・出典
早起きは「3億」の徳/哀川翔、第五翔 カネの激変、p172,173

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基本は親中心 早起きは「3億」の徳/哀川翔

「基本は子供じゃなくて夫婦中心。大人が楽しそうにやってるのを見て、子供は自分も仲間に入りたいと思う。それが大人と子供のコミュニケーションじゃない?」

 生活のリズムや食事とかは子供に合わせたほうが元気になるからいいと思うけど、基本的にウチは親中心なんだよ。だからいろんなことに早朝から子供も付き合わせてるよ。
(中略)
 子供中心の家っていうのは、子供のレベルに合わせて釣り堀に行くようなもんだよ。そんなの馬鹿みたい。だいたいちょっとくらい危ない目にあわしてやりゃいいんだ。すんごい波のところにつれてってさ。そしたら自分で考えて行動できるようになるから。波を見て「今日はお前やめたほうがいいんじゃねえか」とか、そういう会話ができるようになる。
 ただ絶対嫌いにさせちゃいけないからね。ある程度の子供の様子を見つつ、トラウマになるような危ないことはさせない。
 大人たちが楽しそうにしてると、子供も参加したくなるじゃん。そうやっていろいろ経験するなかで好きなことや得意なことを見つけていけば、それが立派な教育になるでしょ。別に教えてやろう、とかじゃなくて俺のやりたいことに引きずり込んでる感じ。本来、それが親と子供の関係として普通じゃないの?子供中心だと本末転倒な感じがするね。

・出典
早起きは「3億」の徳/哀川翔、第三翔 家族の激変、p96~98

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子供は宝だといって大切にしようという風潮があるが、「大切=子供中心」ではないことを考えないといけないな。大切にするってどういうことでしょうね。

結婚しても男と女 早起きは「3億」の徳/哀川翔

「子供中心より親中心の家族でいること。それには『パパ』と『ママ』だけじゃなくて、ちゃんと夫婦でいることだよ。ラクして『夫』や『妻』を放棄しちゃダメ」

みんな付き合ってるときは普通に男と女のカップルだったのに、結婚して子供が生まれたら「パパ」と「ママ」って役割だけになっちゃう夫婦が多いよね。子供に対してだけ「パパ」と「ママ」になるんじゃなくて、「夫」と「妻」であることも放棄しちゃうんだよ。
 なんでそうなるかっていうと、ラクだからでしょ。男や女としてちゃんとするステージを降りるとラクだもん。役割は一個の方がラクだし、サボろうとしてるんだよ。サボったって、親である役割を放棄してなかったら日本では責められない。
 でも俺、それじゃあダメだと思うよ。ちゃんと親の役割を果たしつつ、男女のカップルである部分をなくしちゃいけないよ。
 だってそこが成立していないから、子供がいて親がいるみたいな逆転関係になっちゃうんだもん。もしくは、家の外で楽しみを見つけようとしたりしておかしなことになる。
 日本ではそういう習慣がまかり通ってるけど、なんか俺は変だと思う。そこが崩れると、家族の基盤が崩れるような、基本のことだと思うんだけどね。

・出典
早起きは「3億」の徳/哀川翔、第三翔 家族の激変、p102,104

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人はほっておくと楽な方、楽な方に流れていく。よーし、料理を作るぞと思っても、インスタントで済ませてしまったり・・・。

運動は日常生活に組み込む 早起きは「3億」の徳/哀川翔

「子供を両手で一人ずつ抱いていたら、腕の筋肉がパンパンになった。わざわざ時間とカネを使ってジムに行かなくても、活発に日常を過ごし、自分の役割を見つけてよく動くうちに、自然と体は鍛えられる」

 おかげ様で俺は09年で48歳になるけど、別に太ってくることもないし筋肉も衰えていない。
(中略)
 そもそも俺はジムに通ったり、トレーニングルームを作って筋トレやったりとか、敢えて体を鍛えるってことはとくにやってきてないんだ。(中略)
 なんせ会えて筋トレして鍛えなくても、生活の中で筋肉が自然につくから。
 下の子供たちがちっちゃい頃は、両腕に子供抱いていたら自然に筋肉がついて、腕パンパンになってたし、食料を買い出しにいっても、ウチの買い物袋の量はハンパじゃないから。
 人数多いと量が多いから、まぁすごいよ。一回買い物に行くと、食材だけで3,4万円使うから。食料がびっちり入った買い物袋は重い。それを3個も4個も持って歩くとむちゃくちゃいいトレーニングになるよ。もう、店から車にいれるだけでもしんどいし、車から家にいれるだけでむちゃダルイもん。
 そうやって買った食材も3日でなくなるから。もういやになるよ! 早い。でも食べに行ったら一食で3,4万はかかるけど、買い物に行けば3日か4日かはそれで暮らせるからね。だから3日に一回はその動きをするわけで、これは経済的にもいいし、体にとっても動きになるんだよ。
(中略)
 だいたい大人って、みんなどんどん動かなくなっていくでしょ。そういう自覚があるからこそ一念発起してジムに行ったりしてるのかもしれないけど、そんな動きは無駄なんだよ。経済的にも無駄だし、心も無駄なもんだらけよ。
(中略)
 だから敢えてなにかをするんじゃなくて、普段の生活で怠慢こかずに、日常生活をもっと活発に利用して体を鍛えるのが一番だと思うよ。

・出典
早起きは「3億」の徳/哀川翔、第二翔 効率の激変、p80~82

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朝早いと効率がいい 早起きは「3億」の徳/哀川翔

「都会は午前中勝負!どこ行ってもガラガラだし、朝から動いてる犯罪者はいないよ」

 朝早いと、ないがいいって、まずどこに行ってもガラガラに空いているってこと。築地には朝飯を食いに一時期よく通ったけど、その道中も道ガラガラで最高だった。駐車場だって、一番便利なところとか入れやす好きなところに駐車できるし、それだけで何分も違う。それに警察に止められることもない。駐禁を切られたりネズミ捕りもやってない。だいたい朝から動いている犯罪者はいないからね。
 銀行も役場も郵便局も確実に空いてる。うちは家族が多いし仕事も個人事務所だから、その3つに行くことも多いけど、もう午前中勝負! 何回でも往復できるぐらいガラガラだもんね。
 デパートとか買い物に行くにしても俺は一番乗りだから。そうするととにかく空気がいいんだ。遅くに行くと空気が淀んで悪くなっているでしょう? とくに冬場は乾燥もひどい。デパートは昼から行くもんじゃないね。人が多い場所ほど、早め早めに動けばいいんだよ。

・出典
早起きは「3億」の徳/哀川翔、第二翔 効率の激変、p62,63

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朝早くから動く警察も犯罪者もいない。まさかの考え方。時短もできて安全。こんな生活もいいですね。

時間に余裕ができると優しくなる!? 早起きは「3億」の徳/哀川翔

「イライラしてもなにもいいことない。俺は待つのが嫌いだから、なんでも人より先に済ませたい。みんな早起きして時間も心も余裕が出ると人に優しくする気持ちが生まれるんだよ」

 どこか外で昼飯を食うときも、遅くても11時半には店に入っているから。そうすれと店も空いてるし、店員も余裕だから対応もいい。水が来なかったりオーダー間違われたりしないもんね。でも混んでくると、店員もいっぱいいっぱいになってくるし、お客も我先に、みたいな感じになるんでしょ。その頃には俺はもう食べ終わって、さぁ帰るかという状況だよ。余裕だから人に譲ろうかというきもちにもなるし、わさわさしない。
 でもみんなそのへんが逆転してる。ギリギリの時間設定で動いたら何事もギリギリになるのは目に見えてるんだから。そうやって焦って動くから心に余裕がなくなる。それでストレス、ストレスとかいってるわけでしょう? 俺、意味が分からない。イライラしたくないなら早く寝る。これしかないと思うね。

・出典
早起きは「3億」の徳/哀川翔、第二翔 効率の激変、p64,65

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スーパーのレジ打ちのアルバイトをしていたがまさにそう!忙しくてお客さんがいっぱい並んでいるときは、どうしても一人一人に丁寧に接客することが難しくなる。反対に、空いているときは、商品が少なければ袋に入れようかなという思いすら過る余裕がある。だから、丁寧に接客ができましたね。

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2015年2月4日水曜日

「これどこがおもしろいの?」宮崎駿の企画法 仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫 

 日常にも、彼はよくスタジオ中をぐるぐる回っています。自分の席に座っている以外は、いつもそうです。スタジオですから、いろんなスタッフがいます。アニメーターや背景を描く人など、絵描きだけで何百人いるんですけど、それぞれの日との作画机のそばに行くんですよ。机の上にはいろいろなものが置いてありますよね。仕事道具だけではない。
 たとえば、漫画の本とかが置いてあっとする。そうすると、彼はすぐその漫画を、その人に断りもなく、パラパラめくりはじめる。この「断りもなく」というところがすごいでしょ。それで「おまえ、これ、どれ読んでるの?」。いまの若い人は一冊買っても、必ずしも全部は読みませんからね。好きなものしか読まなかったりする。それを彼はなんとなく知ってますから。「わたしはこれを」「へー、そうなんだ」。それでそのまま、立ちっぱなしでそれを読んでしまう。「で、おまえ、これどこがおもしろいの?」とか訊いたりしている。で、次に行くんです。
(中略:同様のことをイヤホンで聴いている音楽で行う)
 いささかはた迷惑ですけど、これはいろいろな意味があると思う。根本はやはり、彼はどういう人なのか彼女はどういう人なのか、一人一人のことを知りたいという欲求なんですね。いちばん素朴なところなんでしょうけど、それを毎日のようにやっているなかで、なんとなく「アッ、いま、みんなはこういうものが好きなのか」という情報として、みについていくことにつながっているんじゃないでしょうか。「企画は半径三メートル以内にいっぱい転がっている」というのは、まさにこういうことでしょうね。

・出典
仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫、4 宮崎駿の映画作法、p65

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企画は半径三メートル以内 仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫

自分の内側、内側に籠ってしまって他人に興味を持てなくなっている人がふえているんじゃないか。喫茶店で女性同士が話していても、だいたい時間を区切って自分の話をして交代という形をとっている。ほとんど相手の話を聞いているようで聞いていない。早く自分が話す番がこないかなと待ちわびている。だいたい、みんなそんなもんだろうけど・・・。

教えられないこと いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

 先生たちも遠足には自分たちでお弁当を作っていきますけど、これだけ目一杯仕事をしていますから、とくにお願いしなくても園児の親たちが作ってくれたお弁当が届くんですよ。自然発生的なんです。ありがたいことですね。
 それでも、今日は先生たちが自分で作れるって思うときには差し入れは少ないのね。そういうときは必ずこっちもちゃんと用意しているんです。だから暗黙の了解ができているんです。お互いが何をして生きているかっていうことが、わかり合わないと、これはできないです。
 親も保育園の様子を見て、自分で考え、育つようになったんですね。
 これってすごく難しくて、他の人に教える話でもないし、教われる話でもないんですね。
 親御さんたちも、園を見ていて、そういうことだったらお手伝いできるわって思ったんじゃないですか。そうやって参加できるし、しなきゃいけないというふうに思ってくれているんでしょうね。園は園だけではなりたちませんからね。

・出典

行く先のない遠足(5月)、どこへ行くかわからない遠足、p87

古典芸のではありませんが、阿吽の呼吸で仕事を生活をしていく人は減ってきているんでしょうね。

行き先の決まっていない遠足 いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

 遠足は4月の6日でした。
 電車に乗って行きました。電車に乗るだけで大変ですよ。こどもたちはいつもどおり、どのへ行くとも何も教えてないんです。だから、電車の中でほかの乗客に「どこへいくの?」って聞かれても「遠足ー」。「どこまで行くの?」「知らなーい」って言ってました。全てがそうですね。この人といれば行き着くところにはベストしかないって信じきっているから。嬉しそうに「知らなーい」って(笑)。
 でもね今回は「万が一迷子になったときは埼玉県桶川市川田谷のいなほ保育園って言えばね、絶対対丈夫だからね」「必ず見つけにいってあげるからね」って言ってあったんです。
 行き先は途中で子どもの状況を見て決めるんです。様子を見て、これは無理だなと思ったら、行く場所を変えちゃうんですよ。いろんなことがそうなんです。それが本当は普通なことでしょ? 決めたら何があってもいかなくちゃ、って変ですよ。
 子どもの体調にあわせて、考えていくのが当然です。ですから行く先も変わるし、決まってないんです。こどものほうもわかっているからね。「まだ乗るの?」とかね、「あと何個?」とか聞いてきます。
 結局今回は最終的には海まで行ったの。乗り物もいくつも乗り継いで。
 半分インフルエンザ気味のかんたちゃんみたいな子もいるし、どこにしようかずっと車中考えながら、みんなの様子を見て決めたんです。

・出典

手作りの園舎(2月)、お別れの遠足、p60

先にわからないことがあるとなんでも楽しいですね。何事も余白があるからそこに想像の余地ができて、楽しめたりします。

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世界の料理人が集う畑/浅野悦男(LOHAS)

農業ビジネス

環境保全型農業を目指すエコトピアネットワーク お客さんではなくファンができる経営/浅野悦男

 豊かな自然と美味しい農産物を作ることを目的として 
 自然の教えをもとに土作りを基本とする農業を目指す 

【エコトピアネットワークの参加できる農家の条件】 
1、参加する農家は全て目的に忠実であること 
2、結果は全て己れの責任として処理すること 
3、いかなる理由であれ他の盟友に迷惑をかけないこと 
4、偽りは全てを無にする、このことを念頭におくこと 
5、知識、技術、情報は全て共有のものとすること 
上記の条件を十分理解し納得出来る農家であれば誰でも参加することができる 

【エコトピアネットワークのモットーと約束事】 
1、農産物の販売は買って下さいではなく、売って下さいをモットーに 
2、流通は主に外食、個人、全て、オーダー制による販売とする 
3、受発注はFAX通信を基本に個人、品目ごとに行う 
4、価格は全て、品質、価値観、こだわり等評価の上設定する 
5、売上金の決済は個人毎に指定金融機関に振込する 
6、ネットワーク運営の経費として売上金の5%を差し引きそれに当てる 
7、ネットワーク運営上必要と認める事項に要する経費は全て運営費より負担する(事務費、会議費、接待費) 
8、会計報告は年度末に書面により報告する 
9、事務局としてエコトピア・ヤチマタがそれにあたる 
10、事務局手数料は全員の協議で採決し運営費の中より支出する 

事務局 エコトピア・ヤチマタ 浅野悦男 
エコファーム・アサノ TEL(FAX)043-445-4854

・出典
【農業経営者ルポ】お客さんではなくファンができる経営

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何かを持てる自分になる お客さんではなくファンができる経営/浅野悦男

 浅野さんは単なる「顧客」ではなく「ファン」になってくれるお客さんや取引先がいることを知った。そのことの有難さが身に沁み、またそれが仕事への励みになった。もちろん、それだけの評価を受け、そう思われるに足る自分にしかない何かを持ってることが前提だ。 
 物を買うのならソニーでなければ、ホンダでなければ駄目だという人がいる。彼が好きなソニーやホンダやトヨタが良いかどうかではなく、それでもソニーやホンダやトヨタを買う人のことだ。サッカーのファンは会社を休み、あるいは会社を辞め家族を投げうってまでもフランスに応援に行ってしまう。そこまではいかずとも、そんなファンになってもらえるだけの何かを持てる自分になる。農家でも産直や引き売りをしてみればそのことに気付くはず。個人の主婦だけでなくスーパーのバイヤーや経営者のなかにも、そういう思いで支援してくれる人がきっと出てくるものなのだ。 
 農業に限らずファンを持たぬ経営者は挫折しやすいのではないか。それに甘えてはいけないが、どんな経営者も単なる顧客でなくファンや支持者に助けられた体験を持つものである。ファンといえる顧客や支援者の励ましが、困難や逆境や孤立の中にいる彼に勇気を与え、意欲を沸き立たせるものだからだ。横並びの意識を越えた、新しいことに取り組む者にとってはなおさらそれが必要なのだ。 


・出典
【農業経営者ルポ】お客さんではなくファンができる経営

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プロに出会えるプロになれ お客さんではなくファンができる経営/浅野悦男

 「自給自足で生きようというのなら自己満足でもよい。でも、農業が仕事なら、一人でも多くの人に食べて欲しい、答えが戻ってくることを望むのなら、人から売って欲しい、俺に売らせろと言われるような野菜を作らねばだめだ。買ってくれと頼まねばならない物ではだめなんだ」と浅野さんはいう。 
 作れるだけの農民から、浅野さんをお客さんを意識する者に育て、値段と言うものが品物だけの値段ではないことを教えたのは一人の仲買人だった。 
 「俺は浅野君のイモを買ってる時にイモ見て値段付けてるのじゃないよ」 
 浅野さんが若い頃に出会った神田市場の仲卸にいたKさんという特攻隊あがりの仲買人の言葉だった。そして、その人はこう続けた。 
 「浅野君が今年のイモにどれだけの思いを込めて作ったか、何をやってきたかを見て買っているのだ」 
 イモを出荷しなければならないのに火事で消防に出なければならないことがあった。荷造りは中途で止めざるをえなかった。後の作業を父が引き継ぎ、イモを詰めて出荷した。すると翌日、電話が入った。 
 「イモが違う」 
 イモは同じでも、俵の詰め方が違っていたのだ。その人は俵を開けただけで浅野さんの仕事ではないと判断した。作って出荷する人の考え方や気持ちが俵の詰め方に現れる。売っているのはイモだけではないのだ。 
 事情を話して理解して貰った。そんな風に自分を見抜いている、見つめてくれている取引相手がいることに気付かされ、そしてそれに感激もした。
 Kさんは必ず浅野さんのイモを買い、だから他の人は手を出さなかった。それを知らぬある業者が浅野さんのイモを夜のうちに持っていってしまったことがあった。 
 すでにお客さんにも話を付けてあるKさんは、日頃イモの品質チェックに使うナイフを持ったまま、その業者を市場中追っかけ回してしまった。それが警察沙汰になり、Kさんはクビになってしまった。それ以来Kさんには会っていない。 
 農産物の価格というものはただ競売で競り合って値段が付くだけではないのだ。買う人はそこまで考えて買ってくれている。プロの目に答えられる物を作ろうとする者だけが、プロの買い手に出会い、そして教えられ、また、伝え合えるのだ。農家はプロに出会わなければ駄目なのだ。また、出会う努力が必要なのだ。


・出典
【農業経営者ルポ】お客さんではなくファンができる経営

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一流の者には仕事の位を見抜かれる 宮本武蔵 (二)/吉川英治

結果、プロレベルの仕事をしていれば、本物のプロの方と出会い、引き上げてくれるということでしょうね。結局、自分の価値、力を磨くこと以外、やることはないのかもしれません。

農水省のお墨付きは求めない お客さんではなくファンができる経営/浅野悦男

 浅野さんは世間で言うところの「有機・無農薬栽培」農家である。しかし、浅野さんはそう呼ばれることを望んではいない。農水省に「有機・無農薬」という「表示」のための「お墨付き」を求めようとは思わない。有機肥料の利用や無農薬が肝心なのではなく、浅野さんにとっての「あたりまえの農業」を実践しているのであり、「良い野菜だから」といって選んで買って貰える野菜を作っているだけだからだ。
  浅野さんにしてみれば、もともと健康で美味しいと言える野菜を育てるために「あたりまえ」のことをしてきたに過ぎないことなのに、あえて「有機の生産基準」を作り、基準に外れた物に対しては罰則までを付ける必要があるのだろうかと考えるからだ。
(中略)
 浅野悦男さんは自分の作物のことを「有機・無農薬栽培」とは言わない。量販店のバイヤーなどに「その方が高く売れるのに」と言われると、  「確かに、自分は農薬を使っていない。でも、自家採取以外の種子は、多分、消毒されてるよ。それでも『嘘』にはならないの?それに、うちの畑のすぐ脇では農薬をタップリ使ってる。それを拒むことができますか?」と。 

・出典
【農業経営者ルポ】お客さんではなくファンができる経営

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お墨付きや、レッテルを貼られることに価値を見出すということが、本当に必要なのか考えさせられます。

画一、カリキュラムじゃだめ いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

 人間が生物として生きていくときには、やっぱりメカニズム、リズムがあるんですね。
 焼き物を焼く人が土を焼くときもきっとあると思うんです。湿気の多い日とそうじゃない日とか。1日の時間帯だったら、太陽のこのくらいに差し込むこの辺のところで、こうしたほうがいいとか。全部生き物だからちょうどいい適した時間があると思うんです。
 人間の子どももそうなんですよ。あのくらいになると子どもたちは今日のメカニズム、明日のメカニズムとどんどん発達を遂げていくわけですから、そこをしっかり見抜いていないとだめなんです。
 画一じゃだめです。
 だからカリキュラムを作ってもだめなんです。
 人間そのものをまず見ていないと、保育は大変なんです。だからどんなにかわいい優しい子が保育士をやっても、無理です。どんなにお金があって、どんな御殿がそこに建ってもだめです。一番大事なのは一人一人の時期を見抜くことなんです。
 この見抜くということだって、私が考えだしたんじゃなくて、100年もかけてやってきた人の知恵に乗っかているだけなんです。
(中略)
 保護者は無意識のうちにそこまでの洞察力を持たないと、赤ちゃんのコンマ1秒ぐらいで瞬間に出すその感性やいろいろなものというのは、やっぱり見つけることができないんです。
 だから今、目の前にいる子どもそのものから、それを受け取らなくちゃならないんです。受け取る。受け取って渡す。渡して初めてその子は瞬間に出してくれるわけ。受け取ってあげなかったら出さないです。
 そういうときだから、私はこの時期はすさまじいんですよ。自分のエネルギーを子どもに使うときは、ほんとに何かもう不思議なほどで、子どもにも伝わるんです。人間というのはお互いに引き合う時期があるんですよ。

・出典

「いなほ」ができたころ(2007年1月)、時期の見分け、p29,30

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成長の旬を見抜く いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

「千と千尋」のきっかけはキャバクラの話 仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫 

 『千と千尋』。アカデミー賞受賞の話題も一段落して、ようやく雰囲気が落ち着いてきたときに、宮さんがいつになくしんみりと、ぼくにこう言った。「きっかけは鈴木さんのキャバクラの話だったよね」。一瞬とまどいました。「何でしたっけ?」ぼくはすっかり忘れていたんですが、知り合いの青年にキャバクラ好きがいて、彼が言うには「キャバクラで働く女の子はどちらかといえば引っ込み思案の子が多く、お金をもたうために男の人を接客しているうちに、苦手だった他人とのコミュニケーションができるようになる。お金を払っている男のほうも同じようなところがあって、つまりキャバクラはコミュニケーションを学ぶ場だ」と。ぼくはこの話がおもしろくて、宮さんに話したことがあったんです。それが『千と千尋』のモチーフになったと言う。
 たしかに、主人公の千尋はとんでもない世界に放り込まれて、いやおうなく周りとつきあわなれけばいけない。そのなかで彼女のコミュニケーション能力が成長していくわけです。また、重要なキャラクターであるカオナシは、思いの伝え方がわからず暴れてしまうわけで、裏返しの関係です。宮さんはキャバクラの話がおもしろいなあと思って、ずっと覚えていた。それがイメージの核になっていったというわけです。

・出典
仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫、4 宮崎駿の映画作法、p65,66

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 この話を聞いて思い出した事柄が一つ。大前研一さんの言葉で、「人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。この3つの要素でしか人間は変わらない」と仰っています。
 千尋も同じようにそうならなければならない環境に陥ると、いつのまにかその環境に適応していくというものです。「獅子の子落とし」ぐらい厳しいですが、これは親に落とされているので自分の意思はそこに入っていない。自分の意思で谷に落ちていくことは躊躇しがちですが、所さん風に言うと「それさえ楽しんじゃえばいいよ」といいそうな気がします。

企画は半径三メートル以内 仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫

 彼はよく「企画は半径三メートル以内にいっぱい転がっている」と口走ります。彼のあの豊かな発想はどこから生まれるのだろうと、みんな興味津々だと思いますが、じつは彼の情報源は二つしかない。友人の話、そしてスタッフとの日常のなにげない会話です。
 宮さんはこう言うんですよ、「ジブリで起きてることは東京でも起こっている。東京で起こっていることは日本中で起こっている。日本中で起こっていることはだぶん、世界でも起きているだろう」と。そういう理屈で、題材は半径三メートル以内に転がっているというわけですね。

・出典
仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫、4 宮崎駿の映画作法、p65

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「これどこがおもしろいの?」宮崎駿の企画法 仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫

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2015年2月3日火曜日

相槌をちゃんと打てるように 仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫

 ぼくはよく相槌の打ち方の大切さを言いますが、それはこのときの経験が関係していると思います。教養の共有の程度は相槌の打ち方にあらわれますから。
 「へえ、なるほど」をくりかえす人っているでしょう。それではダメだと思う。相手のことを勉強していれば、違う言い方になるはずだ。それから、わかりもしないのに、わかったように相槌を打つ人。これはぼくは弱さだと思います。知らなければちゃんときけばいいんです。これはジブリの新入社員にはいつも言うことなんですけどね。
 (中略)
 ともかくぼくは、自分のわかないときには相槌など簡単に打つものじゃないと思う。相槌を打つには、もとになる教養が必要、ベースが必要、データが必要です。
 そんなふうに思うようになったのも、やはり、高畑・宮崎の二人とどうつきあうか、ということからはじまったかな、とあらためて思うのです。。

・出典
仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫、2 高畑勲・宮崎駿との出会い、p29,30

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鈴木敏夫さんとお話しをする人は知ったが振りが致命傷になりそうですね。

大事なのは「いま」「目の前」 仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫 

 ぼくは自分のやってきた仕事がなんであったか、それを整理しようとまとめようと思ったことはありません。整理したりまとめたりすると現場から離れてしまう、どこかでそう感じているからです。
 だから、やってきたことを覚えていようと思わない。というより、忘れてしまった方がいいと思っていて、ときには忘れる努力さえする。「まっさらな状態に自分をおくと次がうまくいく」というのが、自分のなかで公式としてあります。
 そう思うようになったきっかけがなんであったか、じつはそれすらよく覚えていないんですが、もしかしたら、学生時代、宮沢賢治の詩を読んだことや、あるいはまた寺山修司の影響を受けたことが関係しているかもしれません。ぼくなりに彼らから学んだものは終わったものは終わったものであり、いま動いているこの瞬間が大事である。ということなんです。
 大事なのは「いま」「目の前」です。「昔」はもう、どうでもいいんです。宮崎駿 = 宮さんとはもうかれこれ三◯年、ほとんど毎日といっていいほど話をしてますが、昔の話をしたことがない。いつも「いま」です。しゃべっていることは、いまやらなければいけないこと、そして、一年くらい先のことについてです。それだけでしゃべることは山ほどある。
 宮さんは忘れることの名人です。それがまた、彼の映画づくりの秘密につながっていると思う。これだけ実績があるわけですから、ふつうならそれを受けて次にいきますよね。自分の手法や技法とか、その深度をより深めるかたちで勝負、という方向で、まず考えるものです。ところが宮さんはそうじゃない。新人監督のような挑戦の仕方をしています。これは宮さんの作家としての個性だけど、もしかしたら、自分のやってきたことを覚えていないからではないか。

 作家の吉行淳之介さんがこんなことを言っていたと思います。「忘れてしまう記憶などは大したことないんだ」。つまり、自分の体の中にしみこむ記憶と、忘れ去られる記憶と、両方ある。メモとか日記とかに頼らなければ忘れてしまうことは、忘れてしまっていい。いまの吉行さんの言葉もうろ覚えですけど、いつのまにか自分のなかに入ってくるということが大事なんじゃないか。
 (中略)
 ツールがあるものはツールに任せてしまえばいいんです。そのために「記憶」がある。「記憶」と「記録」は違いますからね。ぼくは人間の記憶容量には限度があると信じていて、それならば、その記憶容量はできるだけ大事なことに当てたい。だから、自分のやったことを記憶するのは必要最小限にしよう、と思っているんです。

・出典
仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫、 序にかえて-体にしみこんでしまった記憶、 v,vi

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奇跡のスタジオ──鈴木敏夫/GQ JAPAN

鈴木敏夫を宮崎駿につなげた232冊 ジブリ作品を育てた本の森/AERA

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鈴木敏夫bot(Twitter)

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世界の見方を変える 仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫

 ベイルマンに『沈黙』という映画がある。公開当時、芸術か、猥褻か!? と話題騒然になった映画だ。当時、ぼくらは高校一年生。十八禁の映画なので、鑑賞は指をくわえて我慢するしか無かったのだが、仲間の内の誰かが言い出した。
 「予告編なら見ることが出来る!」
 こうして、ぼくらはひょんなきっかけで『トム・ジョーンズの華麗な冒険』を見ることになった。動機は不純。なにしろ、添え物の予告編を見るのがテーマだった。しかし、この映画がその後のぼくの人生を大きく変える映画になったのだから、人生は奥深い。ある青年の恋と冒険を描いたコメディ活劇だが、ぼくはこの主人公に夢中になった。寛大に正直に生きる主人公の生き方に、ぼくは大きな影響を受けた。
 同じころ、日本では、植木等の「だまって俺について来い」という歌が巷に流行っていた。歌詞の一部を紹介しよう。

 金の無い奴ァ 俺ンとこへ来い
 俺もナイけど 心配すんな
 見ろよ 青い空 白い雲
 そのうち 何とか なるだろう。

 時代は高度経済成長のまっただ中。日本人は働きバチと化し、アタマがおかしくなり始めていた。そんなときに、植木等の歌ったこの根拠の無い自信に満ちた歌が日本人を救った。そのうち何とかなるだろう。このフレーズをみんなが口ずさんだ。
 ある映画が人の一生を決定し、ひとつの歌が世界の見え方を変える。そういう仕事をしてみたい。おぼろげながら、未来が垣間見えた瞬間だった。今回、調べてみてわかった。いずれも一九六四年、五◯年前の出来事だった。

 二◯一四年五月
鈴木敏夫


・出典
仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫、新版のはじまりに

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「何とか なるだろう」で何とかなる世の中だったら、生きるのがどれぐらい楽か。そんな夢見ていないで現実見てしっかり働けと言われてしまいそうです。まぁセコセコしないで生きていけらたいいですね。

心でさがす 星の王子さま/サン=テグジュペリ作 内藤 濯訳

 「きみの住んでいるとこの人たちったら、おなじ一つの庭で、バラの花を五千も作ってるけど、・・・・・・じぶんたちがなにがほしいのか、わからずにいるんだ」と、王子さまがいいました。
 「うん、わからずにいる・・・・・・」と、ぼくは答えました。
 「だけど、さがしているものは、たった一つのバラの花のなかにだって、すこしの水にだって、あるんだがなあ・・・・・・」
 「そうだとも」と、ぼくは答えました。
 すると、王子さまが、またつづけていいました。
 「だけど、目では、なにも見えないよ。心でさがさないとね」

・出典
星の王子さま/サン=テグジュペリ作 内藤 濯訳、25 p131,132

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上がよければ、必ずよくなる いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

 上がよければ、必ずよくなるんです。
 だから上の位置は重大なんです。卒園のとき、どういう姿で卒園したかがね。早い話が、人類の縮小版やっているだけですよ、私たちは。
 人間はいつも、そのまた上の良き人の姿を見ながら追っていくんです。煎じ詰めていけば、みんなずっと良しとしているものを受け継いできたし、またその下に継いでいきながらね。一番上は星なんだと思うんですよ。で、だんだんだんだん、そのものを見ていくというふうに。「いなほ」で暮らしているものは、この中のそれぞれを見ながら、少しでも奪い取れるものを奪い取りながら成長していっているんだと思うんですね。

・出典

保育の基本は食べ物(2006年12月)、体内時計、p8

今の日本の社会も上の良き人の良しとているものを受け継いできたのでしょうか? そうだとしたら、こんなもんなんでしょうかね・・・。分かりません。

成長の旬を見抜く いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

 子どもたちの毎日を見てきて、「今ならこれができる」という判断は、職人技に通ずるものがあると思いますが、本当に「今だ」というときがあるんですよ。
 「今だ」というときじゃないときにしたら、出てくるものは形だけの、ぼろぼろに崩れるものです。子どもたちの成長にも旬があるんです。それはただぼんやりとしてたらみえないものです。
 今ここでこの子が登ろうとしている。、すごい飛躍をしようとしているというのに、逆に足を引っ張るようなことをしていたら、あと1ヶ月かけたって、100日かけたってだめなんです。だから、「今だ」というときにはもう何があっても飛ばせる努力をするんです。その一瞬が見抜けなかったら、だめなんです。その一瞬のときに、その子も無意識のうちだけど、今までの蓄積の中からそこでぴっと燃え出るわけです。
 その火が燃え出すときにそれをしてやらなければ、消えちゃうわけですよ。

・出典

「いなほ」ができたころ(2007年1月)、時期の見分け、p27

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画一、カリキュラムじゃだめ いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

「勉強しなさい!」
「あーいまやろうと思ったところなのに。そんなこと言われたらやる気なくした」

伝達でき合える子ども いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

 長い時間預かっているから、子どもの体調に関して言えば、親よりもわかります。基本的にはほぼどの子も12時間はここにいるんですから。
 でも一番わかるのは子ども同士なんですよ。感覚が育っている子どもたちだから、上の子が下の子を見て、調子が悪そうだとか、あの子はちょっと調子悪いとか、子どもが先に伝えに来ますね。ふだんとちょっと違うとすぐに伝えに来ますね。感じとるんですね。
 家族とか集団とかで生きていくときには、そういうことが大事だと思うんですね。どうってことないことだけど、そういうふうに、伝達ができ合えるということがね。

・出典

保育の基本は食べ物(2006年12月)、体内時計、p10

食べたいときは子どもが決める いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

 園で遊んだりするほかに、大事なことはおやつとお昼ご飯ですね。簡単に言っちゃえば、食っちゃ寝で、あとは遊んでいればいいんです。
 食事の時間は時計で決めていないです。子どもは全部体内時計持ってるんです。そういうのがないと人間がおかしくなっちゃうから。今は、全然そういうサイクルじゃないのに食事を押しつけるから、ねじが外れんちゃうんですよ。
 運動もしてないのに「ほい食べろ」、発散が足りてないのに「ほい昼寝しろ」って言っても無理です。
 私たちは、子どもがいま食べないとだめとか、今はたべないでもこうしていたいって、子どもが決めてるから快適なんです。

・出典

保育の基本は食べ物(2006年12月)、体内時計、p8

時間でなんでも区切ってしまうということを、もう一度考えさせられます。

家族みたいな保育園 いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

 お母さんのなかには母乳を絞って置いていく人もいますが、だんだんミルクに切りかわっていきますね。会社や仕事の休み時間にあげに来るお母さんもいます。ご自分のおっぱいがあまっていると、よその子にもあげたりね。これも衛生面で怒られるかもしれないですね。でも、私たちはそんなことよりも母乳第一と思っていますから。お互いにそうしてやりながらしてきています。
 それも、ここの雰囲気があるからできますけど、一般のところではやらないと思います。「失礼な」とかね。そうなってしまうと思うんですよ。私たちは家族みたいなものですから。

・出典

保育の基本は食べ物(2006年12月)、母乳、p7

マニュアルより子どもを見て いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

 赤ちゃんっておっぽい飲んで、寝て、泣くだけと思っているのは大間違いです。赤ちゃんというのは可塑性が強くて、まだ真っ白だけれども、受け入れることは全部受け入れられるんです。だから子育てでは一番重大なときです。「いなほ」では、ゼロ歳児の保育をとても大切に思っています。
 昔の母親というのは暗黙のうちにそういうことを知っていて、適切に対応していたと思います。必要な語りかけをしたり、歌ってあげたり、抱きしめたり。そばにいれば話しかけるし、ひとり言は言うし・・・・・・。ゼロ歳はその子にとって、とても重大な時期なんですね。
 昔の親は理屈言わないで、みんな本能的にやってたんだと思うんです。だから子どもはみんな立派に、成績なんか悪くたって、丈夫に育ってますよ。多少ちっちゃく生まれようと何だろうと、親は必死になって育てて。でも、今はそういうのはなくて、頭だけはみんな立派ですね。嫌というほど、育児の本が出ていますでしょ。
 親の多くは、そのとおりに、マニュアルでやらないといけないと思ってますから、子どもを見てないんです。本のほうを見てて。
 「こういうときにはどうするの? え、これ口に突っ込めばいいの」
 極端に言うと、そういう対応です。とにかく赤ちゃんがなくとおしゃぶりをブっと突っ込んじゃうでしょう。泣きそうだと思ったらお菓子をパッとあげちゃうでしょう。一番大事な、赤ちゃんが泣きながら伝言していることを受け取ってあげないで・・・・・・気の毒です。

・出典

保育の基本は食べ物(2006年12月)、ゼロ歳児、p6

いまはマニュアルと説明書の社会ですね。ハウツー本がたくさん売れて、こんな時はこうすればいいよということ本から学ぶ。私もよく読みますが、ルール外のことが山ほど起こる人生では、ハウツーを押さえながらもう一工夫自分なりにやっていきたいです。

高畑勲監督推薦、すばらしい保育園 いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

 「すばらしい保育園があるんですよ!」と最初にスタジオジブリにこの園のことを紹介してくれたのは、「火垂るの墓」や「平成狸合戦ぽんぽこ」など監督した高畑勲監督。
 訪れてみて驚きました。そこにいる子どもたちは、ほんとにいきいきとした遊びっぷり。裸足で園庭を駆け回り(先生たちは、靴を履きなさい、けがしますよ、などの注意は一言も言いません)、木に登り(先生方は落ちはしないかとはらはらしながら見ているそうですが、それでも木に登るなとはいいません)、おいしそうな給食をそれはよく食べます(スプーンやフォークを使いきれない小さな子どもたちは、どんどん手を使って食べます。先生たちは、そんなことはまるっきり気にしていない様子。おいしくたくさん食べることを第一と考えているようです)。
 いまどきこんなふうにのびやかに子どもたちを保育できる園はめったにないと思います。どんな考え方で保育しているのか、園長先生にいろいろ聞いてみたくなりました。
 北原園長は「私は実践者であって、理論や立派なことをいうつもりもないし、そんな話をする資格はないんです。ほんとに普通のひとだから」としり込みなさいましたが、聞き書きのかたちで、登場していただくことになりました。

・出典

保育の基本は食べ物(2006年12月)、p2

何をしても怒られない保育園。いいですね。その裏での先生方の工夫はとてつもないでしょうけど・・・。

子どもを箱の中にしまわないで いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

 私たちはあまりに外部の物に依存するあまり頭でっかちになり、体という大事なものをないがしろにしてきたのではないだろうか。固い殻を勝手に作ってその中にいれば安全と思い違いしていないだろうか。子どもをきれいな箱に入れて、思い込み教育をしていないだろか。本来持っている力や感性は生きるため、生きることを喜ぶためにあったはずなのに。それさえも箱の中にしまいこんでいないだろうか。
 感じとる。自ら考える。そして行動する。そこに喜びが生まれる。
 それが生きることの意味ではないだろうか。人は生まれたときから「生きる」日々のなかでそうした力を身につけてきたはずなのだ。そこを大事にしていけば、たいそうな嵐や災害にも耐えていける。風や雨は災いではなく変化として楽しむもの。
 今の日本はそんな大事なことを置き忘れてきたのでは。
 「いなほ」の保育はそんな現代に「そうじゃないんじゃないの」と問いかけているように見える。

・出典

北原和子さんといなほ保育園ー聞き書き者まえがきー、iv,v

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脳に可塑性があるから、人は冒険できる スノーピークHP/池谷裕二

本来人が持っている力 いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

   それは人が生きていく上での根幹に触れるものばかりであった。
   多分私たちは大きな勘違いをしている。
   病にかかれば、医者や薬に頼る。寒い日には暖房を入れ、暑ければクーラーを。遊びには道具が必要で、勉強には理想的な環境が。何もかも不足なものは補うのが当然だと思いこんでいないだろうか。
   あれさえあれば、これがなかったら、あそこを変えたら、こういうものが欲しい。変えようのない自然の営みや季節さえも変えたいし、変えられると思いこんでしまった。
   「薬なんか飲むよりも、病気にならない子に育てればいいんです。人間はみんなそういう力を持っているんです。ただ持っていることを忘れてしまったんです。忘れてしまうような社会になってしまったんです。」
   「丈夫な体をつくればいいんです。そのためには与えすぎは禁物です。やってあげるのもだめ。子どもでもみんな自分が生きるという気持ちがなかったらだめですよ。体が育てば、感性が芽生えます。感性が芽生えてくれば、自然の美しさや生きることが喜びだってわかってくるんです。こんなことを教えようと思っても不可能です。生きるなかで
、できあがってくるものなんですから。」
   「本来人は誰でもそういう力を持っています。障害のあるこどもでも、病の人でもみんな持っています。それを見つけ出し、伸ばしてやるのが私たちのできることではないですか」

・出典

北原和子さんといなほ保育園ー聞き書き者まえがきー、iv,v

2015年2月2日月曜日

終着のない試行錯誤 いなほ保育園の十二ヶ月/北原和子 聞き書き 塩野米松

 正直言って驚いた。通常考える園庭も門も塀もそれらしき建物もないのである。こどもたちはたくさんいた。空き地で遊ぶ者、一人で木陰で土いじりをしている子、空き地に積まれた丸太をよじ登っている子どもたち。子どもはいるが先生らしき姿はなかった。
 背の高い生垣の内側にある家屋へ向かった。生意気そうなガチョウが突っかかってくる。向こうではヤギが鳴いている。大きな犬が放し飼いで、柵の向こうにはロバがいる。鼻水を垂らした子がしゃがみ込んでアリの列を追っていた。ガラス戸の向こう、布団を敷き詰められた部屋で子どもたちが昼寝をしていた。
 (中略)敷地内には大きな木や茂みがあり、山があり、凹んだところがあり、どこにも危険を避けるという配慮はない。
    夏は暑く、冬は寒く、よく言えば自然を丸ごと受け入れた、野放しに見える風景だった。
 (中略)この環境こそが「いなほ」にとって大事なもので、長い時間の積み重ねと試行錯誤の末に至ったものだとわかるのだが、これさえも変化の過程であり、終着などないのだと聞かれて、子どもたちに真剣に付き合うというのはそういうことなのだと心にしみ入った。
   インタビューが始まった。
   「私は理論なんか話せませんよ。実践者ではありますが、保育がどうだとか話すことなんかできませんから。とにかく子どもはみんな毎日変わっていくし、一人一人が全く違うんですから、言葉で簡単になんか話せません。」

・出典

北原和子さんといなほ保育園ー聞き書き者まえがきー、iii,iv

「言葉で簡単になんか話せません」この一言は感心しました。なんでも言葉にして伝えることが大事だと思われていますが、言葉にできないこともたくさんあるということを改めて考えました。

根がない人間 星の王子さま/サン=テグジュペリ作 内藤 濯訳

 王子さまは砂漠をよこぎりましたが、たった一輪の花に出くわしたきりでした。花びらが三つの花でした。まったく、なんでもない花でした・・・・・
 「こんにちは」と、王子さまがいいました。
「こんにちは」と、花がいいました。
 「人間たち、どこにいるの?」と、王子さまは、ていねいにたずねました。
 花はある日、隊商の通ってゆくのを見たことがありました。
 「人間? 六、七人は、いるでしょうね。何年かまえに、見かけたことがありましたよ。だけど、どこであえるか、わかりませんねえ。風に吹かれてあるきまわるのです。根がないだから、たいへん不自由していますよ」
 「さよなら」と、王子さまがいいました。
 「さよなら」と、花がいいました。

・出典
星の王子さま/サン=テグジュペリ作 内藤 濯訳、18 p97,98

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コミュニケーション能力だけあっても仕方がない modern fat/真鍋昌平

コミュニケーション能力だけあっても仕方がない

──身近な人でも有名人でもいいんですけど、生き方のモデルになってるような人っていますか?
真鍋 こないだ亡くなった親戚のおじさんで、すごい金持ちのおじさんがいたんですよ。小学生のころハワイに連れてってくれたりしたんですけど。その人って本当に人当たりが良くって、子どもからおじいちゃんまで、その人の尺に合わせてうまく接するんですよね。子どもだったら子どもの目線になるし、高齢者だったら高齢者の目線になるし。ああいうのはすごい憧れましたね。自分ができるかって言われたらできないけど、日常レベルの中に、そうやってうまくやってる人がいるっていうのは良かったですよね。
──快活に生きていくためには、そういうコミュニケーション力みたいなものが必要だと思います?
真鍋 ああ……でも自分の場合は一応、漫画の認知度が上がってるから、向こうが迎え入れてくれるっていう体があるじゃないですか。だから、やっぱ力つけるのが一番いいんじゃないですかね(笑)。
──すごい直接的(笑)!
真鍋 向こうにとって得になるような人間になったら、コミュニケーション能力なんかなくたって向こうから寄ってくる(笑)。それをがんばればいいんじゃないですか? よく飲み屋にいるじゃないですか、やたらコミュニケーション取ってるけど、何やってるかっていったら何もやってないような奴。その場ではみんなのヒーローだけど、普段はつまらないんだろうな……とか(笑)。やっぱりコミュニケーション力だけある人って最終的に信用されないと思うんですよ。若いときは人を集めてイベントのオーガナイザーとかやってみんなにチヤホヤされるけど、結局その人自身に何もなかったら、だんだん集める人もいなくなってくるし、ただの厄介な人になっていくじゃないですか。みんな「コミュニケーション!コミュニケーション!」って言うけど、そんなに意味もなく人と会ってどうすんだよ、って話じゃないですか。絶対、「寂しいから」っていう動機でやってる人のほうが多いと思うんですよ。そういうことやっても何の意味もないんじゃないか、って思いますけどね。

・出典
「何歳まで生きますか?」真鍋昌平さんに聞く
modern fartより

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この真鍋さんの話、とても心に沁みます。「大人になると価値のない人間は相手にされなくなる」と言っていたチームラボの猪子さんの話とよく似ています。どういうことが価値なのかは考えないといけないですね。

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・インタビュー
「何歳までいきますか?」真鍋昌平さんに聞く

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『闇金ウシジマくん』作者・真鍋昌平が語る“洗脳のテクニック”

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