2015年2月15日日曜日

頼むべきは、よき友 竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎

「さきほどから考えているんだが、どうもあんたとわしは、たがいに藩こそちがえ、このさき、交わりをむすんでゆきたいような気がする。あんたはどうおもう。
「ちゃちゃちゃ」
「えっ」
 と小五郎がおどろくと、竜馬は大まじめな顔で、
「なに大したことはない。土佐のびっくり言葉です。いまわしはおなじことを考えていましたので少々おどろいたのだ。なるほど外夷が来るような時代になると、長州も土州もない。いまにそういう時代がくる。きっと天下に風雲がまきおこるだろう。そのとき頼むべきは、よき友だけだ。男子、よき友は拝跪してでも求めねばならない」

・出典
竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎、二十歳、p205


人生におけるよき友を探す、見つけることが生きていく上で大切そうですね。よき友に出会うために自己の練磨に努めていきます。

何を話すかより、誰が話すか 竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎

 同じ言葉でも、他の者の口から出れば厭味にも胡乱臭げにもきこえる。ところがこの男の口から出ると、言葉の一つ一つがまるで毛皮のつややかな小動物でも一ぴき一ぴきとび出してくるよう来るようなふしぎな魅力がある。
 そのくせ、雄弁ではない。体全体がしゃべっているような訥弁で、そのうえ、ひどい土佐なまりなのである。
(こういうのを人物というのかもしれない。おなじ内容の言葉をしゃべっても、その人の口から出ると、まるで魅力がちがってしまうことがある。人物であるかないかは、そういうことが尺度なのだ)

・出典
竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎、二十歳、p203,204

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大賢は愚に似たり 竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎

「あの大男か。出来そうか」
「さて、試合ってみねばわかりませぬが、多少、愚に似たような仁でありまするな」
「大賢は愚に似たりと古語にもいうぞ。鋭さを面にあらわしてあるいているような男は才物であっても第二流だ。第一流の人物というのは、少々、馬鹿に見える。少々どころか、凡人の眼からみれば大馬鹿の間ぬけにみえるときがある。そのくせ、接する者になにか強い印象をのこす。土佐ではお城下の町郷士のこときいたが、ああいう人間の型は長州にはいない」
益田越中にとって、竜馬はなにかと気になる男なのであった。自分の生涯のなかでも、もう一度会いそうな気が、しきりとする。

・出典
竜馬がゆく 一 /司馬遼太郎、二十歳、p193

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