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2015年2月4日水曜日

「これどこがおもしろいの?」宮崎駿の企画法 仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫 

 日常にも、彼はよくスタジオ中をぐるぐる回っています。自分の席に座っている以外は、いつもそうです。スタジオですから、いろんなスタッフがいます。アニメーターや背景を描く人など、絵描きだけで何百人いるんですけど、それぞれの日との作画机のそばに行くんですよ。机の上にはいろいろなものが置いてありますよね。仕事道具だけではない。
 たとえば、漫画の本とかが置いてあっとする。そうすると、彼はすぐその漫画を、その人に断りもなく、パラパラめくりはじめる。この「断りもなく」というところがすごいでしょ。それで「おまえ、これ、どれ読んでるの?」。いまの若い人は一冊買っても、必ずしも全部は読みませんからね。好きなものしか読まなかったりする。それを彼はなんとなく知ってますから。「わたしはこれを」「へー、そうなんだ」。それでそのまま、立ちっぱなしでそれを読んでしまう。「で、おまえ、これどこがおもしろいの?」とか訊いたりしている。で、次に行くんです。
(中略:同様のことをイヤホンで聴いている音楽で行う)
 いささかはた迷惑ですけど、これはいろいろな意味があると思う。根本はやはり、彼はどういう人なのか彼女はどういう人なのか、一人一人のことを知りたいという欲求なんですね。いちばん素朴なところなんでしょうけど、それを毎日のようにやっているなかで、なんとなく「アッ、いま、みんなはこういうものが好きなのか」という情報として、みについていくことにつながっているんじゃないでしょうか。「企画は半径三メートル以内にいっぱい転がっている」というのは、まさにこういうことでしょうね。

・出典
仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫、4 宮崎駿の映画作法、p65

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企画は半径三メートル以内 仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫

自分の内側、内側に籠ってしまって他人に興味を持てなくなっている人がふえているんじゃないか。喫茶店で女性同士が話していても、だいたい時間を区切って自分の話をして交代という形をとっている。ほとんど相手の話を聞いているようで聞いていない。早く自分が話す番がこないかなと待ちわびている。だいたい、みんなそんなもんだろうけど・・・。

「千と千尋」のきっかけはキャバクラの話 仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫 

 『千と千尋』。アカデミー賞受賞の話題も一段落して、ようやく雰囲気が落ち着いてきたときに、宮さんがいつになくしんみりと、ぼくにこう言った。「きっかけは鈴木さんのキャバクラの話だったよね」。一瞬とまどいました。「何でしたっけ?」ぼくはすっかり忘れていたんですが、知り合いの青年にキャバクラ好きがいて、彼が言うには「キャバクラで働く女の子はどちらかといえば引っ込み思案の子が多く、お金をもたうために男の人を接客しているうちに、苦手だった他人とのコミュニケーションができるようになる。お金を払っている男のほうも同じようなところがあって、つまりキャバクラはコミュニケーションを学ぶ場だ」と。ぼくはこの話がおもしろくて、宮さんに話したことがあったんです。それが『千と千尋』のモチーフになったと言う。
 たしかに、主人公の千尋はとんでもない世界に放り込まれて、いやおうなく周りとつきあわなれけばいけない。そのなかで彼女のコミュニケーション能力が成長していくわけです。また、重要なキャラクターであるカオナシは、思いの伝え方がわからず暴れてしまうわけで、裏返しの関係です。宮さんはキャバクラの話がおもしろいなあと思って、ずっと覚えていた。それがイメージの核になっていったというわけです。

・出典
仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫、4 宮崎駿の映画作法、p65,66

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鈴木敏夫

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 この話を聞いて思い出した事柄が一つ。大前研一さんの言葉で、「人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。この3つの要素でしか人間は変わらない」と仰っています。
 千尋も同じようにそうならなければならない環境に陥ると、いつのまにかその環境に適応していくというものです。「獅子の子落とし」ぐらい厳しいですが、これは親に落とされているので自分の意思はそこに入っていない。自分の意思で谷に落ちていくことは躊躇しがちですが、所さん風に言うと「それさえ楽しんじゃえばいいよ」といいそうな気がします。

企画は半径三メートル以内 仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫

 彼はよく「企画は半径三メートル以内にいっぱい転がっている」と口走ります。彼のあの豊かな発想はどこから生まれるのだろうと、みんな興味津々だと思いますが、じつは彼の情報源は二つしかない。友人の話、そしてスタッフとの日常のなにげない会話です。
 宮さんはこう言うんですよ、「ジブリで起きてることは東京でも起こっている。東京で起こっていることは日本中で起こっている。日本中で起こっていることはだぶん、世界でも起きているだろう」と。そういう理屈で、題材は半径三メートル以内に転がっているというわけですね。

・出典
仕事道楽 スタジオジブリの現場/鈴木敏夫、4 宮崎駿の映画作法、p65

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2015年1月31日土曜日

人間は度し難い 宮崎駿 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

 世界のゆらぎが私のいる小さな職場にも届いて、うかうかしているとただ流されるだけになってしまいそうです。道を乞う・・・・・・などと書くと、おふたりに叱られそうですが、この混沌の時代に遭遇して正直な気持でした。
 心情的左翼だった自分が、経済繁栄と社会主義国の没落で自動的に転向し、続出する理想のない現実主義者の仲間だけはなりたくありませんでした。自分がどこにいるのか、今この世界でどう選択して生きていくべきか、おふたりなら教えていただけると思いました。
(中略)
 恥をかくというつもりはなかったのですが、残念なのは自分の力不足です。日頃、言葉の定義をあいまいにして来たむくいでもあります。もっとつっこむべき瞬間を、何度も私は逃しました。立ちどまって考えている間に、会話は次へ進んでいったりしました。
 忘れられないのは、
「人間は度し難い」
 と司馬さんがおっしゃった瞬間でした。堀田さんが坐りなおしつつ、
「そうだ。人間は度し難い」
 と応えたのです。大きな元気な声でした。
(中略)
 私事で申し訳ありませんが、死んだ母のことを思い出していました。
「人間はしかたのないものだ」というのが彼女の口癖で、若い私と何度も激しくやりとりしたのです。戦後の文化人の変節について彼女が語るとき、不信のトゲは何かいたたまれないものがありました。
(中略)
 もっと長いスタンスで、もっと遠くを見る目差しが欲しいとつくづく思います。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、あとがき 宮崎駿、p270~272

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いい家と人と庭、その継承 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

宮崎 ふと見かけたいい家を訪ねていく、という仕事をある雑誌で始めているんですが、いい家というのは、家と人と庭が-植物ですが、いっしょに年とっていく家ですね。家のつくりがいいとか、材料がいいとかいうのは、それは何年かたつと関係なくなります。
 震災直後に建てたちょっとハイカラなぼろ家でも、そこに住んでいる人が、その家と庭をだいじにしているといった家に出会うと、私はもうとても幸せな気持になるんです。家と人間とがいっしょに年とっていくのを見ると、日本はすてたものではないと思うんです。
 ですから、日本の家というのを考えるときに、自然と時間とのかかわり合いなんだと思うしかないのです。でもいまの家というのは、時間の経過を拒否する建物ですから、どこかで音をたてて変わり始めているという感じがします。
司馬 私は、相続税は文化を破壊する、と書いたことがあります。文化というのは、礼儀作法に見られるように、元来、家つきものですよ。庭がどんなに小さくても、その庭によってある美意識が養われるならば、これは文化の道なんです。その庭を四分して売らなきゃ相続税が払えない。これは、完全に文化の破壊です。自民党の連中にそう言ってみてもぜんぜんわからない。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、8 地球人への処方箋、家、p216,217

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相続するだけなのにお金が取られる。これが常識なんでしょうが、本当にこれは常識としてあっていいことなのかな?と思いました。

高級品 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

宮崎 いまの日本は、世界中からイカとエビを集めて、食いあさっています。食べすぎですね。
司馬 日本の豊かさというのは、いい悪いはべつとして、そんなもんであって、カニなんかでも、マツバガニでもズワイガニでも、以前はほとんど土地の人が旬に食べていたものを全国の調理屋が出す。
 松茸だって、近畿地方と四国の人、瀬戸内海岸にの人だけが食べていた。あれは主婦が今日の料理もなんにもないと思って、一山一銭か二銭の松茸でご飯でもしようかという程度のもんだった。私ら子供のときです。
堀田 私は明らかに覚えてますけど、貧乏なうちの子供がおなかをすかして学校から帰ってくるでしょう。「なんか食べ物ないか」っておふくろに言う。そうすると、おふくろがそこらにあったカニのでっこと太いアシを一本ちぎって、「これでも食べとけ」って(笑)、北国ですからね。そういうだぐいの食べ物でした。
司馬 つまりそういうものを高級料理屋が津々浦々までいつでもしょっちゅう出すということになると、品薄になって値段が高くなる。だから高級品になってしまうんですね。こういうバカなことをしているシステムが豊かさなんであって、それをやっぱり皮肉に思わなきゃいけませんね。そのために流通のロスがずいぶんある。土地の食べ物で満足しなくなったということがあります。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、6 食べ物の文化、うまさは国力から、p203,204

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値段の高いものは、なぜそれだけ高いのかをもう一度考えるきっかけになりました。

貧乏であることの誇り 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

司馬 フランシスコ・ザビエルが感動的に書いていますが、ヨーロッパでは富に栄えるもののみが正しくて、貧しいものはそのことを恥じるけれども、この国の民は貧しさを誇りにしている、これはクリスチャンになるにふさわしい民族だということを報告しています。
 そもそも日本人は、ここ最近のようにこんなに富を得ようとはだれも思っていなかった。どちらかというと、われわれは千数百年来、食っていければいいという理想だけをもっていましたし、江戸時代の侍も明らかにそうでした。これは万人がそうでしたね。時々、奇妙な人が成金になるだけで、その人をばかにしていました。そういう意識があるかぎり、日本人は大丈夫だと思いますね。私はそれはじつによくわかるんです。その点わりあい感じはいい国だとは思うんです。
 ところが、くずれつつありますな。このあいだ、検事が汚職して何万かもらった事件があったのには、もう暗然とした。カトリックの神父さんが独身であるように、検事は清貧でなければならない、と自他ともに思っている。検事であることの清貧を楽しむか誇りに思うために、一生懸命勉強して検事になるんでしょう。貧乏であることでみな尊ぶわけでしょう。それが汚職してもらったら困る(笑)。
堀田  今朝の新聞を見たら裁判官までそうだという。これは度しがたい。日本の将来も度しがたいね、これは(笑)。
 貧乏であることを誇りとしているというこの伝統は、いまヨーロッパのほうが目立ちます。
 たとえば中産階級以下は、それぞれ庶民であることを楽しんでいる。上にいこうとは思わない。昔のパリでは、ルイ・ヴィトンのものを持つならば、自動車はロールス・ロイス。そういうふうになっていたわけでしょう。だから中産階級以下は、そういう高級品を持とうとはまったく思っていないわけです。
司馬 「武士は食えねど高楊枝」といって、侍は貧乏、町人は金持ち。だけど侍は尊ばれている。それはヨーロッパでも質素というのは貴族の徳目の一つです。だからわれわれ日本人はいままでいいモラルをもってきたんだけれども、いまからは再びちょっと開発せんとだめですな(笑)。新しい事態がこうやって起こっては。
堀田 スペインのドン・ファン・カルロスという大さまが銀座の服部時計店へ行ったとき、真珠がずらっと並べてある、それを見て「われわれのような階級にはいらんもんだ」って言ってた(笑)。
宮崎 成金になるとしばらくの間、熱が冷めるまではしょうがないでしょうね。なんでも買いあさった挙げ句、もうどうでもいいやと思うようになるまでは。イギリス人だってここへくるまでものすごく傲岸な時代があったでしょう。
司馬 そうそう。夏目漱石はロンドンの街を歩くと、イギリス人は全員高慢な顔をしているという。なるほど、いま行っても高慢な顔をしてますな(笑)。アイルランドに行くとみな和やかなんだ(笑)。
宮崎 和やかで居心地いいところでした。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、6 日本人のありよう、ザビエルがほめた徳目、p165,166

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お金があればアイルランドに行ってみたくなりますね。

2015年1月30日金曜日

子供に全てがある 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

司馬 よく言うではないですが、子供は大人の父である、子供に全てがあると。子供が持っているイマジネーションというのはわれわれ大人にはかなわない、と古代人もおもっていたんですね。子供の動作を見て、これは神様が宿っていると。だから、子供と同じ階の踏み方をすると、神に近づいていけるという感じがあるでしょう。これは私のつけた理屈ですけれども、神主さんもよくやっています。こういうことが宮崎作品にならないかしらと思っているのです。
(中略)
宮崎 『となりのトトロ』で幼い女の子のした階段の踏みかたは、ただ小さいからそうしただけなんですが、日本、東アジアは子供を主人公にして、子供が活躍する物語が好きです。『西遊記』にも子供の神様が出てきて、力も技も大人と対等です。これはヨーロッパの人は絶対納得できない。大人と子供が戦って、子供が勝てるはずがないじゃないかということです。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、5 宗教の幹、一神論と凡神論の世界、p145

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子どもから力を貰うこともあるし、雑念のない率直な子どもの意見に「あぁそうだな」と思わされることもありますしね。子どもというものを大人は見くびりすぎているかもしれませんね。

闇のたいせつさ 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

宮崎 闇というものを身近に、だいじなものだと思わないようになってしまった。つまり、古い家を全部壊してしまう。それと同じです。
堀田 蓼科に別荘をつくってから、三年間電気がこなかった。そんな生活は大変でしたけど、たいへん気持よかった。ランプでしたけどね。夜寝るときなんか、いくら酒飲んでも、なんだかざわざわしている。
 しかし、そのうち二ヶ月ぐらいから、そのざわざわがないと眠れなくなってしまった。守られているという感じでしてね。
宮崎 闇と折り合いをつけていくのですね。
司馬 闇を悪徳だと昔の日本人はおもわなかったんですが、(中略)
堀田 キリストは、「我は光なり」とやってきたわけでしょう。(中略)
 ヨーロッパの森の中の真っ暗なところに住んでいる連中のところへ、お坊さんが、「我は光なり」と来たら、みんなドキッとしますよ。
宮崎 森と闇が強い時代には、光は光明そのものだったのでしょうね。でも、人間のほうが強くなって光ばかりになると、闇もたいせつなんだと気がつくわけです。私は闇のほうにちょっと味方をしたくなっているのですが(笑)。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、4 アニメーションの世界、闇のすばらしさを宮崎作品で、p30,31

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闇であることは世間一般的にいうと毛嫌いされることもあるが、闇がなれければ光の明るさを大事には思えないですね。光があることが当然になっているので。衣食住に関しても同じことが言えそうです。

めちゃめちゃなアニメーション現場 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

宮崎 アニメーションというのは国籍不明ですから、怒涛のごとく近隣諸国へ発注が出ています。日本では人手が足りないから、海外へ持っていく。かならずしも安いから持っていくのではないのです。例によって何社も群がって発注しますから、向こうが足元を見てふっかけてくる。と、みるみる制作コストは上がりまして、いま、たとえば韓国で作っても日本で作っても値段は同じです。
 その結果、韓国でアニメーションの絵を描いている人間は、外車に乗ったりしています。日本と同じ給料ですが、韓国だったら高給取りになってしまいますから。しかも、各国から逆に日本に下請けに出てきたり、わけのわからないことが起こっているんです。めちゃめちゃです。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、1 二◯世紀とは、混迷するアニメーション、p123,124

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毒殺の芸術 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

宮崎 二◯世紀の大きな特徴は、武器を各国が競うように持ったことにあるのではないでしょうか?
司馬 (中略)殺すということでは兵器を、しかも大量に殺戮できる兵器を、機関銃から始まって最後に核にまで至るものを二◯世紀になって作ったということです。兵器は全部、人を殺すための道具ながら、これが進歩の証でしたね。
堀田 ある個人を標的とした毒殺ということでは、ルネッサンス時代の人間は非常に詳しかった。それがイタリアのPistoiaでピストルが十六世紀半ばに発明されたとたんに、毒殺知識がどーっとなくなった。
司馬 イタリアでは毒殺までが芸術だったですな(笑)。
 ジョルジュ・シムノンのメグレ警視がアメリカの犯罪を罵ってますね。彼らはプロの犯罪者だといって。フランスの犯罪者は全部素人だから、われわれが芸の細かい調査ができるんだと書いている。二◯世紀早々から、アメリカのギャングは、殺したいたった一人の人間を、自動車で走り抜けつつ、街頭で機関銃でやる。あんなことをやられちゃ、人間の心理の機微に分け入るメグレ的な捜査法があがったりになります。(笑)

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、 1 二◯世紀とは、武器のありよう、p29,30

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機械化、自動化の弊害は人間らしさが失われるところにあるんじゃないでしょうか。

人類的な規模の観察者 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

司馬 江上波夫さんが、あの好奇心の塊のような人が、二年ほどまえに北朝鮮にいらしたのです。ちょうど帰ってこられたころにばったいと大阪で会ったので、「いかがでしたか」と聞きました。そうしましたら、ああいう巨人の感想というのはおもしろいですな。何を見に行ったかというと、古代、ピラミッドでも万里の長城でもたいへんな人の手作業ですが、どのくらいの日数がかかったかという計算がいまの学問ではできない。
 それが北朝鮮に行けばわかると思っていったそうです。スタジアムをレンガ積んで作ってる。初めはなかなか進展しないで、時間が長くかかる。ところが人間というのは、ある時期からおもしろくなってくるらしい。だんだんスピードが上がってきて、「案外われわれが思っていたよりも早くできますよ」と言われるのです。それだけを見にいくだけのための旅でした。
宮崎 それはすごい。
司馬 こういうレベルの観察者にはかないません(笑)。体制がどうだとか、そんなことに関係ない。
 (中略)人類的な規模をもった観察者が日本にはいるということで、ちょっと心強い。いい話でしょう。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、1 二◯世紀とは、「ユニーク」な国々、p24,25

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昔の建築物ですごいなと思われるものでも、案外当時の人たちは作ることを楽しんでいた可能性もありますね。だいたいすごいなと思われるような人でも、その人からしたら当然のことをしているだけですよって顔しますもんね。

本音で商売 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

宮崎 私は子供を相手に商売をしているものですから、子供たちの状況というのが気になるわけです。子供たちに向かって、大人としてこれなら本当だといえるものを作っていかないと、要するにリップサービスで愛だとか友情だとかいうのではなくて、本音を語らないと子供たちはまったく受けつけません。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、 1 二◯世紀とは、「書生」として、p11

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嘘が一番通用しないのは子どもなのかもしれません。