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2015年2月2日月曜日

時代の風音/堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿 関連場所、商品

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2015年1月31日土曜日

人間は度し難い 宮崎駿 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

 世界のゆらぎが私のいる小さな職場にも届いて、うかうかしているとただ流されるだけになってしまいそうです。道を乞う・・・・・・などと書くと、おふたりに叱られそうですが、この混沌の時代に遭遇して正直な気持でした。
 心情的左翼だった自分が、経済繁栄と社会主義国の没落で自動的に転向し、続出する理想のない現実主義者の仲間だけはなりたくありませんでした。自分がどこにいるのか、今この世界でどう選択して生きていくべきか、おふたりなら教えていただけると思いました。
(中略)
 恥をかくというつもりはなかったのですが、残念なのは自分の力不足です。日頃、言葉の定義をあいまいにして来たむくいでもあります。もっとつっこむべき瞬間を、何度も私は逃しました。立ちどまって考えている間に、会話は次へ進んでいったりしました。
 忘れられないのは、
「人間は度し難い」
 と司馬さんがおっしゃった瞬間でした。堀田さんが坐りなおしつつ、
「そうだ。人間は度し難い」
 と応えたのです。大きな元気な声でした。
(中略)
 私事で申し訳ありませんが、死んだ母のことを思い出していました。
「人間はしかたのないものだ」というのが彼女の口癖で、若い私と何度も激しくやりとりしたのです。戦後の文化人の変節について彼女が語るとき、不信のトゲは何かいたたまれないものがありました。
(中略)
 もっと長いスタンスで、もっと遠くを見る目差しが欲しいとつくづく思います。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、あとがき 宮崎駿、p270~272

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モンゴル高原へ戻る 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

司馬 モンゴルの高原の草原に行くと、やはりいまの地球は間違っているんじゃないかと思います。草だけをエネルギー源にしている。石油じゃなくて。牛や馬に草を食わせて、それのお余りをいただいている。完全な生産形態と消費形態とがある。草原での燃料は牛の糞の乾いたやつをつかう。あれは青色が出て、いい火力です。野蛮じゃない。秩序ある体系的な大文明です。
 ともかくいざとなったら、私どもはそこへ戻れるんだと思うと気が楽になる。私にとって、モンゴル高原のことを考えるのは若いころからの娯楽なんですけど、この秘かなる娯楽があるおかげで世の行く末ということを考えても、あまり憂鬱にならずにすむんです(笑)。
堀田 それはいい(笑)。それが文明ですよ。
 二◯◯一年で二十一世紀がくるわけでしょう。司馬さんも言われましたように、それまで一◯年を切ってしまったこの間に、人殺し騒ぎをやってる連中を全部やめさせ、自然破壊をやめさせると、そういう世界会議が必要です。
司馬 必要です。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、8 地球人への処方箋、二◯◯一年一月一日への世界会議、p239,240

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オランダに学ぶ時代 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

司馬 世界で、いちばん公害問題で地球規模で心を痛めているのは、オランダでしょう。真の意味での先進国だと思います。つまり二酸化炭素が増えれば地球があったかくなって、北極の氷などが融けて海面の水位が上がればオランダは水没して国がなくなります。
 オランダはゼロメートルのところが総面積の四分の一以上ありますでしょう。ですから、先祖代々、紀元前一世紀のシーザーによるローマ軍の侵入のころから営々としてダムをつくり、海面を干拓し、やっとここまできたのに、二酸化炭素の増加で地球が温暖化すれば、水面下の国になる。それはかなわないので自動車の排ガスを世界的になんとか規制しましょう、と言っている。でも、日本もアメリカもいい返事をしない。
 だから、オランダの提言が新しい文明の主題となるときが数年後にくると思うんです、抑制こそ文明だという時代が。
堀田 環境関係の会議は、たいていオランダで開かれます。ハーグか、アムステルダム、ライデン。しかもしょっちゅうやっています。国際的な人を集めて、あの人たちは必死ですね。
司馬 必死です。いま私らはオランダ人に学ぶことは二つあります。
 一つは土地問題です。オランダの土地はほとんど国有地で、その上に産業が乗っかっている。地代を国に払っているだけです。たとえばアムステルダムで最近できた日本人学校は、国から敷地を借りました。日本の小学校と同じ規模の校庭があって、地代は年に一ギルダー、七◯円ほどです。
 二つめは多民族国家になってしまったことです。戦後、植民地解放でインドネシア人がはいってきました。何人かに一人がカラードです。オランダの小学校教育の、かれらを差別するなという徹底ぶり。オランダ憲法下にいて、オランダ国籍のある人は、同じオランダ人、一ミリの違いもないオランダ人だ、と。なぜかというと、差別することによって後で反乱を起こされたら、オランダそのものが消える。
 人間はみなものを考える力をもっているのに、政治に生かすことができない国が多いですね。それがオランダはうまくいった。だから、オランダというのを学びなおすという時代がきています。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、8 地球人への処方箋、オランダに学べ、p232~234

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結局、オランダのように自分の身に実害がないと、環境問題をどうにかしようとは思わないんでしょうね。とか、言っていると問題の解決にならないので、世の中では一生懸命、環境問題に取り組んでいる人がいるんでしょう。頭が上がりません。

高級品 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

宮崎 いまの日本は、世界中からイカとエビを集めて、食いあさっています。食べすぎですね。
司馬 日本の豊かさというのは、いい悪いはべつとして、そんなもんであって、カニなんかでも、マツバガニでもズワイガニでも、以前はほとんど土地の人が旬に食べていたものを全国の調理屋が出す。
 松茸だって、近畿地方と四国の人、瀬戸内海岸にの人だけが食べていた。あれは主婦が今日の料理もなんにもないと思って、一山一銭か二銭の松茸でご飯でもしようかという程度のもんだった。私ら子供のときです。
堀田 私は明らかに覚えてますけど、貧乏なうちの子供がおなかをすかして学校から帰ってくるでしょう。「なんか食べ物ないか」っておふくろに言う。そうすると、おふくろがそこらにあったカニのでっこと太いアシを一本ちぎって、「これでも食べとけ」って(笑)、北国ですからね。そういうだぐいの食べ物でした。
司馬 つまりそういうものを高級料理屋が津々浦々までいつでもしょっちゅう出すということになると、品薄になって値段が高くなる。だから高級品になってしまうんですね。こういうバカなことをしているシステムが豊かさなんであって、それをやっぱり皮肉に思わなきゃいけませんね。そのために流通のロスがずいぶんある。土地の食べ物で満足しなくなったということがあります。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、6 食べ物の文化、うまさは国力から、p203,204

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値段の高いものは、なぜそれだけ高いのかをもう一度考えるきっかけになりました。

貧乏であることの誇り 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

司馬 フランシスコ・ザビエルが感動的に書いていますが、ヨーロッパでは富に栄えるもののみが正しくて、貧しいものはそのことを恥じるけれども、この国の民は貧しさを誇りにしている、これはクリスチャンになるにふさわしい民族だということを報告しています。
 そもそも日本人は、ここ最近のようにこんなに富を得ようとはだれも思っていなかった。どちらかというと、われわれは千数百年来、食っていければいいという理想だけをもっていましたし、江戸時代の侍も明らかにそうでした。これは万人がそうでしたね。時々、奇妙な人が成金になるだけで、その人をばかにしていました。そういう意識があるかぎり、日本人は大丈夫だと思いますね。私はそれはじつによくわかるんです。その点わりあい感じはいい国だとは思うんです。
 ところが、くずれつつありますな。このあいだ、検事が汚職して何万かもらった事件があったのには、もう暗然とした。カトリックの神父さんが独身であるように、検事は清貧でなければならない、と自他ともに思っている。検事であることの清貧を楽しむか誇りに思うために、一生懸命勉強して検事になるんでしょう。貧乏であることでみな尊ぶわけでしょう。それが汚職してもらったら困る(笑)。
堀田  今朝の新聞を見たら裁判官までそうだという。これは度しがたい。日本の将来も度しがたいね、これは(笑)。
 貧乏であることを誇りとしているというこの伝統は、いまヨーロッパのほうが目立ちます。
 たとえば中産階級以下は、それぞれ庶民であることを楽しんでいる。上にいこうとは思わない。昔のパリでは、ルイ・ヴィトンのものを持つならば、自動車はロールス・ロイス。そういうふうになっていたわけでしょう。だから中産階級以下は、そういう高級品を持とうとはまったく思っていないわけです。
司馬 「武士は食えねど高楊枝」といって、侍は貧乏、町人は金持ち。だけど侍は尊ばれている。それはヨーロッパでも質素というのは貴族の徳目の一つです。だからわれわれ日本人はいままでいいモラルをもってきたんだけれども、いまからは再びちょっと開発せんとだめですな(笑)。新しい事態がこうやって起こっては。
堀田 スペインのドン・ファン・カルロスという大さまが銀座の服部時計店へ行ったとき、真珠がずらっと並べてある、それを見て「われわれのような階級にはいらんもんだ」って言ってた(笑)。
宮崎 成金になるとしばらくの間、熱が冷めるまではしょうがないでしょうね。なんでも買いあさった挙げ句、もうどうでもいいやと思うようになるまでは。イギリス人だってここへくるまでものすごく傲岸な時代があったでしょう。
司馬 そうそう。夏目漱石はロンドンの街を歩くと、イギリス人は全員高慢な顔をしているという。なるほど、いま行っても高慢な顔をしてますな(笑)。アイルランドに行くとみな和やかなんだ(笑)。
宮崎 和やかで居心地いいところでした。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、6 日本人のありよう、ザビエルがほめた徳目、p165,166

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お金があればアイルランドに行ってみたくなりますね。

本質のすりかえ  時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

堀田 私は、戦争中に軍令部臨時欧州戦争調査研究部という長い名前のところにいたんですけど、そこに毎朝、鎮守府からくる官報みたいなものがあって、その下のほうに軍艦の名前が、軍艦何々、何々、何々、と並んでいるのです。その横にぜんぶ、「艦籍を削る」と書いてあるので「艦籍を削るってなんのことじゃ」ってきいたんです。そうしましたら、それは沈んだという意味だというんです。はあ、なるほど、艦籍を削るとはそういうことか。人が死んで戸籍を削るのと同じ。
司馬 つまり、英語圏では、はっきりと沈んだとか、何人殺されたという言葉をちゃんと普通に使うのに、日本は玉砕したとか雅語に近くなる。とにかく言葉で巧みに本質をすり抜けるようにできていますですね。
堀田 それは敗戦ではなくて、終戦というのと同じ。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、6 日本人のありよう、「名こそ惜しけれ」の生きかた、p163,164

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魔女の正体 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

堀田 昔、ヨーロッパに魔女というのがいたでしょう。この魔女というのは、女の患者さんが、とくに貴婦人が男のお医者さんに肌を触れられることを嫌った。しかし、お医者さんは必要、薬も必要だ。それで薬をつくるための女が必要になった。ヘビの頭だとか、ネズミだとか、それとどくだみだの薬草をいろいろとぐつぐつ煮なきゃならないからです。そんなことは町の中でやれないですよ。森へ行ってそこで大きな釜で火をたいてぐつぐつやるから、魔女ということにされたのですが、ほんとうは婦人用の医者なんですよ。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、5 宗教の幹、固陋な教会、p151

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まさか、魔女が医者だったとは・・・。魔女は悪い奴だと思っていた。人は上辺だけで判断してはいけないな。

2015年1月30日金曜日

闇のたいせつさ 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

宮崎 闇というものを身近に、だいじなものだと思わないようになってしまった。つまり、古い家を全部壊してしまう。それと同じです。
堀田 蓼科に別荘をつくってから、三年間電気がこなかった。そんな生活は大変でしたけど、たいへん気持よかった。ランプでしたけどね。夜寝るときなんか、いくら酒飲んでも、なんだかざわざわしている。
 しかし、そのうち二ヶ月ぐらいから、そのざわざわがないと眠れなくなってしまった。守られているという感じでしてね。
宮崎 闇と折り合いをつけていくのですね。
司馬 闇を悪徳だと昔の日本人はおもわなかったんですが、(中略)
堀田 キリストは、「我は光なり」とやってきたわけでしょう。(中略)
 ヨーロッパの森の中の真っ暗なところに住んでいる連中のところへ、お坊さんが、「我は光なり」と来たら、みんなドキッとしますよ。
宮崎 森と闇が強い時代には、光は光明そのものだったのでしょうね。でも、人間のほうが強くなって光ばかりになると、闇もたいせつなんだと気がつくわけです。私は闇のほうにちょっと味方をしたくなっているのですが(笑)。

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、4 アニメーションの世界、闇のすばらしさを宮崎作品で、p30,31

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闇であることは世間一般的にいうと毛嫌いされることもあるが、闇がなれければ光の明るさを大事には思えないですね。光があることが当然になっているので。衣食住に関しても同じことが言えそうです。

毒殺の芸術 時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎

宮崎 二◯世紀の大きな特徴は、武器を各国が競うように持ったことにあるのではないでしょうか?
司馬 (中略)殺すということでは兵器を、しかも大量に殺戮できる兵器を、機関銃から始まって最後に核にまで至るものを二◯世紀になって作ったということです。兵器は全部、人を殺すための道具ながら、これが進歩の証でしたね。
堀田 ある個人を標的とした毒殺ということでは、ルネッサンス時代の人間は非常に詳しかった。それがイタリアのPistoiaでピストルが十六世紀半ばに発明されたとたんに、毒殺知識がどーっとなくなった。
司馬 イタリアでは毒殺までが芸術だったですな(笑)。
 ジョルジュ・シムノンのメグレ警視がアメリカの犯罪を罵ってますね。彼らはプロの犯罪者だといって。フランスの犯罪者は全部素人だから、われわれが芸の細かい調査ができるんだと書いている。二◯世紀早々から、アメリカのギャングは、殺したいたった一人の人間を、自動車で走り抜けつつ、街頭で機関銃でやる。あんなことをやられちゃ、人間の心理の機微に分け入るメグレ的な捜査法があがったりになります。(笑)

・出典
時代の風音/宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎、 1 二◯世紀とは、武器のありよう、p29,30

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機械化、自動化の弊害は人間らしさが失われるところにあるんじゃないでしょうか。